2020-03-30

●われながら、子供の時から、あまのじゃくというか、マイナー好みだったのだなあと思う。ドリフで好きなのは荒井注仲本工事だった。荒井注の代わりに志村けんが入った時も、ただ騒いでいるだけで面白くない若い人という印象で、荒井注の方がよかったのにと思っていた。当初、あきらかに浮いていた志村けんだが、「東村山音頭」のブレイクをきっかけに、あれよあれよという間にドリフの不動のセンター「カトちゃん」を凌駕するほどの人気者になる。その生成の過程を(まだ小学校低学年だったけど)リアルタイムでみていた(当時「全員集合」はみんな観ているのが当然という番組だったから)。子供たちはみるみるうちに「シムラ」が大好きになっていった。それでもぼくは志村けんをあまり好きにはなれなくて、あいかわらず荒井注の方がよかったのにと思いつづけていた。74年から76年くらいまでの話。

(自分が荒井注好きだったことを改めて思い出したのだが、荒井注は、基本的に不機嫌そうなふてくされた顔をして「なんだバカヤロウ」とか言っているキャラで、子供からみたら怖いおじさんにみえると思うのだが、小学校一、二年生くらいで荒井注が好きだった---そして、志村けんをあまり好きになれなかった---自分は基本的にどこかがズレているのだと思う。)

(荒井注ドリフターズをやめた---そして志村けんが加入した---74年に、荒井注はまだ四十代中盤、いかりや長介も、その頃は四十代前半。たとえば、有吉弘行陣内智則後藤輝基ふかわりょう、ビビる大木---74年生まれ---が今、ちょうど四十代半ばで、あの頃の荒井注と同じくらい---そしていかりや長介より年上---ということになる。そして、志村けんはそこから45年以上ずっと、現役で第一線だったわけだ。)