●『建築に内在する言葉』(坂本一成)の序章を、昨日行ってきた「坂本一成住宅めぐり」の図録に載っている平面図や写真と行ったり来たりして参照しつつ読んでいた。この本はかなり前に買ってあって、パラパラ少し読んで正直あまりピンとこない感じのまま放置していたのだけど、実作(と言っても模型や写真だけど)を観てから読むとがぜん面白くなった。
≪(…)イメージやコンセプトは、私たちを取り囲んでいる現実や日常を超えて自由をもたらす枠組みを形成します。≫
≪ところが、新たなイメージに基づく構成やそれを形式化したものは、現実や日常を超えるためのものですから、往々にして非日常、非現実を招くことになります。ですから自由な空間のための新しい建築をつくるということは、現実や日常を超えた非現実や非日常をつくることになるのではないかと思われるかもしれません。(…)しかし、、この非現実化・非日常化すること、そのための構成や形式は、建築にとって、特に住宅のような日常的な建築にとっては、この日常ということにおいて対立して矛盾することになります。≫
≪現実と非現実は、また日常と非日常は、対立し矛盾するするわけです。ですから非日常的なもののあり方、非現実的なもののなかに、自由な、豊かな、軽々とした、広々とした空間をつくることはできません。しかしそこで、日常を超えながら現実を引き受け、非現実化、非日常化しないで、現実や日常と連続したもうひとつの現実・日常がありうるのではないか。もうひとつの現実、もうひとつの日常は、現実・日常と連続しつつ、それと対立するイメージや構想、あるいはテーマや概念、それを実体化する構成や形式との拮抗、そのせめぎ合いのなかにあるのではないか。≫
●このように言われることと、「あの作品」たちによる実践は、確かに繋がりがあるように思われた。展示されていたもののなかでぼくが特に興奮したのは家全体が斜面としてつくられているかのような「House SA」なのだが(たんにぼくが斜面好きということもあるのだけど)、それについては次のように書かれている。
≪「House SA」(1999年)は、下階の地下室から少しずつ床レベルが上がって、動線的に折り返して上階に至り、そしてまた折り返してさらに上につながるという螺旋状になっています。≫
≪その螺旋の構成を実現させようとすれば、螺旋というかたち自体を具現することになりますが、実際にはこの場所の敷地形状との対応によってその純粋螺旋は変形されることになり、螺旋自体の問題ではなくなります。このことは構成形式である螺旋という幾何学図形を敷地形状といった現実に重ねることであり、内容が内在する形式と現実とが重なることを意味します。そしてこの重ね合わせを強めれば強めるほど螺旋と言う形式は緩められ、曖昧になっていきます。しかしその時その両方の関係、つまり拮抗関係あるいは対立関係が、葛藤による緊張感によって新たなリアリティを獲得することは、二章で述べたとおりです。(…)壁がすべて敷地形状に沿って立ち上がり、太陽熱のコレクターが屋根の上に南を向いてあるというように、外在的な条件によって部分が自立的になることを、螺旋と言う形式がつなぎとめているわけです。≫
●「House SA」は坂本一成の自邸であるらしく、ウェブ上で読んだ古谷誠章との対談によると、施主である奥さんが階段室のある家は嫌だと言ったので階段を排除した結果、家全体が階段であるような家になってしまったというような発言があった。これもまた外在的な条件の一つなのだろう(いや、施主にとっては内在的だが、建築家にとっては外在的、と言うべきか)。
ごく大雑把に単純化して、「(現実を超えて)自由をもたらす」ためのコンセプトや理念(形式)を実現しようとすることを「閉じる」とし、現実的、日常的、外在的な条件を受け入れ、それを反映させることを「開く」とする、と言えるとするならば、「House SA」は、開くことと閉じることとが、(拮抗するとか対立するとかいうよりも)様々なレベルにおいて、互いに互いを交差的に刺し貫いているように感じられた。それはつまり、単純な「対立」関係にはならないように様々な操作や配慮を施しているということではないだろうか、と。その結果として、あのとんでもない空間が出来上がっているという感じがした。ここで、「現実」と「それを超える自由」、「開くこと」と「閉じること」の関係は、拮抗や対立でもないし、でも、調和や融合でもなくて、大きなレベルから細かいレベルまで様々な階層のそれぞれにおいて、両者が斜めにずれながら交差しているというイメージではないかと思った。拮抗というとどうしてもテンションがピーンと張っている感じだし、調和というと安定し過ぎている感じたけど、そのどちらでもない感じなのではないか、と。
古谷誠章との対談も面白かった。展覧会の模型だけだと「コモンシティ星田」の面白さがよく分からなかったのだけど、これを読んで、そうか「House SA」ともつながっているのか、と思った。
http://inaxreport.info/data/IR186/IR186_p22-39.pdf
●ぼくは、あまり多くの人や多くのお金がかかわるような規模のでかい表現というのは苦手で、というか、リアリティのつかみどころがよく分からないので(「映画」は、製作や配給に関してはそうかもしれないけど、「観る」という側面ではそうでもないというか、むしろかなり個人的だ)、建築に関しては意識的に距離をとっていたところもあるのだけど、個人の住宅ということなら、そう怖がることもないのかなあとも思った。