●クラウスの「彫刻とポストモダン」(79年に書かれた)を読み直して、前にレヴィ=ストロースについて調べた時に理解しようとしたクラインの4元群をもう一度おさらいしてみた。
オーストラリアのカリエラ族では、そのメンバーが婚姻関係において四つのグループに分けられている。仮にそれをA、B、C、Dとする。結婚は、AとB、CとDの間でしか許されていない。つまりカップルには(「男・女」の順で)「A・B」「C・D」「D・C」「B・A」という四つのパターンがある。そして、「A・B」の組み合わせの両親から生まれた子供は「D」に属すると決まっている。その時、子供の相手は自動的に「C」に属する人から選ぶことに決まり、男の子の場合「C・D」というカップル、女の子の場合「D・C」というカップルをつくることになる。以下、次のような組み合わせになっている。




ここで、例えば(1)の親「A・B」の子供が生まれると「D」に属し、男の子だった場合、彼は「D・C」というカップルをつくるので、生まれた子供(親からみれば孫)は「A」に属し、相手は自動的に「B」になり、この子(孫)も男の子だった場合、この孫は「A・B」という組み合わせのカップルをつくるので、親(孫からみれば親の親)の世代と同じ組み合わせのカップルになる。同様にして、子供の世代が女の子で、孫の世代も女の子だった場合も、親の世代と同じ「A・B」に戻る。これは(1)から(4)まですべて言える。
ここで、カップルが男の子を生む変換をfとし、女の子を生む変換をgとした場合、下の図のような関係が成り立つ。つまり、どの元においても、fの二乗がe(eは変化しないという記号、つまりもとに戻る)となり、gの二乗もeとなり、fg=gfも成り立つので、カリエラ族の婚姻規則は「群」になっていると言える、と。
(どの元からでも、親→男→男、親→女→女だと、もとに戻り、親→男→女、親→女→男だと、対偶になる、という意味。)




クラウスのテキストの場合では変換関係というより、「A・B(風景)」「C・D(建築)」「D・C(非-風景)」「B・A(非-建築)」という概念の間の論理的な配置(関係)になっている。でもこれは、本質的には違いはないのかもしれない。
クラウスのテキストでは、系統樹的な歴史主義とモダニズム的なメディウムスペシフィックが批判される。二項対立とその止揚-否定(風景でもなく、建築でもないもの)として整理されるモダニズム彫刻の図式を斥ける根拠は、クラインの4元群によって導入される「風景」「建築」「非-風景」「非-建築」という四つの元の論理的関係である(二項から四元への飛躍)。風景と建築という二項対立の図式でみるから、その中間にある(どちらでもない)「彫刻」が特権的なものに感じられるが、そうではなく、そこにあるのは四つの元の間の論理的関係性であり、ならば、その中間には、彫刻の他にもあと三つの項があるはずで、それらは皆等価であるはずだ、となる。
クラウスはそれら(彫刻を含めた)四つの項を、(非風景と非建築の間)「彫刻」、(非風景と風景の間)「マークされた位置」、(風景と建築の間)「位置-構築」、(建築と非建築の間)「公理的構造」と名付け、それらを等価である、とする。
ここで、モダニズムの「二項対立とその止揚-否定」を批判し、そこからポストモダニズムの「四つの項の論理的関係」へと展開される根拠は、クラウス自身が書いているとおり「論理的構造」であるはずだ。しかし、クラウスは同時に、この四つの項の論理的な関係性は、歴史的で限定的なもので、それはモダニズムの時代の文化的配置からの切断として現れたものだという書き方をしている。だけど、クラインの4元群という純粋に論理的な装置(それは普遍的なものであるはずだ)から、ポストモダンという、特定の歴史的、文化的に限定されたある時代の美術のあり様が導き出されるのは何故なのかは、このテキストからは分からない。
レヴィ=ストロースの場合、調べてみたらそんな構造になっていた(データから構造を――数学者の力を借りて――導きだした)ということだから必然的な結びつきがあるけど、クラウスの場合は、状況をある論理的な形に当てはめてみたら、なぜか上手くハマったという感じで、多分に「見立て」的なところがある。誰もが、ある特定のものの見方に閉じ込められていた時、それとは別の見方を示し、その見方によって多くの事柄を説明し、正当化できるようにみえるようになる。この時の、視界が開かれるような鮮やかさ、あるいは、足元が崩されるような眩暈が、「批評」ということなのだろう。
でも、それが見立てである以上、本当かどうかは検証のしようがない。ある切り口で世界をみると、このような図柄がみえてくる、と。あとはその切り口が、どの程度の鮮やかさや眩暈を生産し、どの程度の説得力と実際的な効果(政治力)をもつのかという話になる。おそらくそこが科学との相性の悪さではないか。科学的にはそれは作業仮説でしかなく、そこからが始まりであり、十分な確かさらしさを得られるまでの長い検証が重ねられる。というかそもそも、検証や体系化が不可能なこと――反証可能性のないこと――は作業仮説にもならず、そんなものをさも論理的であるかのように言うのはどうなのか、と。
でも、そうなると、「検証不可能なこと」を思考が取り扱うこと、考えることができなくなってしまう。人間が生きるためには、エビデンスを示しようのない思考も必要ではないのか、ということも言える。例えば、何かしらの「見立て」なしに、人は日々の世の中を生きることができるのか、とか。ならば批評は、はじめからフィクションだということにしてしまえばいいのではないだろうか。それは思弁的で論理仕立てのフィクションであり、そこで生産されるのは、正しさでも体系的整合性でもなく、面白さ(新鮮さや眩暈や説得力)であり、その面白さがもつ政治力(社会的な効果とその抗争)であるのだ、という風に。絶えず作り直され、作り替えられる「見立て」たちの抗争のなかに、人は生きているともいえる。逆に言えば、批評の場所は、もうフィクションにしかないのではないかという気がするのだけど。
(その時、面白さが、政治に向かうのか、信仰に向かうのかで、ずいぶん違ってくるかもしれない。面白さのもつ政治力の他に、面白さがもつ信仰力というのもある。)