●銀座のギャラリー福山(http://www.enjoytokyo.jp/OD003Detail.html?SPOT_ID=l_00016591、あるいはhttp://9199.jp/phone_page/01614887/)に、加藤陽子展「藪漕ぎ」の搬入、展示の手伝いに行ってきた。今回の展示はとても良かった。良かったというのは、たんに作品としての質が高いということだけではない。しかし、この感じを何と言ったらいいのか、ちょっと難しい。
ぼくは加藤陽子という人を昔から知っているのだが、この人の作品には、気持ちがのっている時には、「何か」が籠もる。それこそ、予備校時代の受験用デッサンの時からそうで、それは、上手いとか下手とかいうこととあまり関係がない、それが出来る人と出来ない人がいると言うしかないものだ。この作家の作品には独自の跳躍力のようなものがあり、それは何かを的確に掴む、というよりも、何かが「籠もる」とか「宿る」という感じのものなのだ。それを魂と言うべきなのか、精霊と言うべきのか、怨念と言うべきなのか分からないが、なんというか、そういう言い方でしか言えない感じの何かだ。画面に塗布される油絵の具の粘りや掠れのなかに、絵の具と絵の具との間に、それは織り込まれる。それはおそらく作家本人にも制御不能な波動のようなもの、あるいは低気圧とか高気圧とか、何かそのようなものなのだろう。だからその作品は必然的に重く、それを観る側も安全な位置にはいられず、感覚が強く引っ張られるというか、巻き込まれる。そして、そこに籠もったり、宿ったりするものは、必ずしもポジティブな力だけではなく、時に、非常に強いネガティブな重力として作動するものであることもある。
だが、本当に調子が良い時、その作品に、軽やかさが到来する。重たい油絵の具の重なりのなか、そこに織り込まれた複雑な感覚の混じり合いのなかに、ふいに訪れた晴れ間のようなものが現れる。
今回展示された作品のなかには、ネガティブな力として作動するような作品が一点もない。そのことが、展示空間のなかに、とてもよい響きを生み出しているように感じた。この感じは、この作家の展覧会としては、一体何年ぶりなのだろうかと思う。「ネガティブな」という言い方はちょっと誤解を招くかも知れなくて、それはそれとして強い力をもつもので、それを否定しているのではない。とはいえ、作品を観る側として、空を覆う重たい雲から落ちてくる冷たい雨の日より、気持ちよく晴れた小春日和の日の方が、単純にうれしい(勿論、冷たい雨の日にも必然性があり、それを否定しているのではない)。
そして、ここに展示された作品たちは、ここからさらにもう一歩突き抜けた、軽やかさと透明さへと向かうポテンシャルがあり、そちらの方へと向かって動き出そうとしているような予感を孕んでいるように思えた。
●展覧会は、2月22日から3月6日まで。十三時から十九時まで開廊、土曜は十七時まで。日曜はお休み。