●以下は『煙の樹』(デニス・ジョンソン)の戦闘場面からの引用。ここには、「言葉」の機能と密接に結びついたフィクションの萌芽があるように思う。現状を言葉で描写することで、絶望的な現状から半ば離脱してメタ的な視点を確保出来ること。そして、現状の描写がそのまま横滑り的に希望の記述へとスライドすることで、記述が現状を写すという機能から、記述に現状を従わせるという呪術的な機能へと、言葉の機能をシフトさせること。ここでの発話主体はハンソンなのだが、それはあまり重要ではなく、その言葉そのものが場に与える効果が重要であろう。
《ジェームズに分かる限りでは、ハンソンも入れて六人の兵士が、斜面のすぐ上の茂みに腹這いになっていた。
下の山への爆撃が一段落したとき、ハンソンは静かに口を開いた。グリーンでパッティングという、緊迫した場面を中継するアナウンサーのような口調だった。「ハンソンは姿勢を低くする。ハンソンは背筋を汗が伝うのを感じる。ハンソンの親指は安全装置にかかってる。指は引き金にかかってる。もし来たら、心底やられたって敵は思うことになる。ハンソンは奴らの顔を吹っ飛ばす。ハンソンの指はクリちゃんみたいに引き金を舐める。ハンソンはアソコみたいに銃を愛してる。ハンソンは家に帰りたい。ハンソンは清潔なシーツの匂いを嗅ぎたい。アラバマのきれいなシーツだ。ベトナムの臭いやつじゃない」
誰もハンソンの相手をしなかった。敵は殺し屋で、自分たちはほんの子供にすぎず、もう死んだのだ、と誰もが分かっていた。この瞬間のことが理解できて、この瞬間を生き延びれるような口調でハンソンが喋っていることを、皆がありがたく思っていた。》(P305)
●あるいは次の引用部分での、断言というものの特異な力。
《煙っぽい薄明かりで、ジェームズは移動しながら自分の足を見ることができた。前進している限り、殺されることはなかった。瞬間瞬間が、マンガのコマのようにやってきて、彼はそれぞれのコマにぴったり収まっていた。爆撃が夜を照らし、照明弾が天空に揺れ、彼の周りには黒い影が動きまわっていた。》(P305)
《ジェームズは体を屈めて、ブラックマンのところによたよたと歩いていき、下の銃光目がけて発砲した。人を殺していることは分かっていた。動いていること、それが秘訣だった。動いて殺して、素晴らしい気分だった。》(P306)
ここで、《前進している限り、殺されることはなかった》、《動いていること、それが秘訣だった》といきなり言い切られることには、何の根拠もない。しかし、このような極限的な状況の描写のなかにいきなり混じり込む断言は、「断言される」というその事実によってこそ根拠づけられ、それが世界の法則であるかのような動かしがたい説得力をもつように感じられる。さらに、この断言が、ジェームズによってなされているのか、それとも三人称の語り手によってなされているのかがよく分からないようになっている。この、オブジェクトレベルとメタレベルとの混同が(混同的な「一致」が)、この断言にさらなる力を、無根拠であることによる絶対性を与えているように思う。