●散歩から帰って撮った写真をざっと見てみると、意識しているわけではないのだが、いつもだいたい同じところで撮っていることに気づく。空とか光とか葉や植物の茂りとか動物とか何かしら珍しい物だとか、その日やその時期にだけ現れるものでなければ、自分が反応する風景(というか、地形)のだいたいの傾向というのが、自分が撮る写真を見ているとなんとなくあるのが分かる。そういうのを発見するのはとても楽しい。
でも、そうなると意識がその傾向を強化してしまうという現象が起こるので、それを外すのはちょっと難しい。意識したものを、意識的に外すことは出来ないので(というか、それでは「強化」の逆に過ぎないから意味が無いので)、ぼーっとする能力、ぼんやりする能力、あるいは別のものに気をられる能力というのは、とても重要なものであるように思う。
自分の関心の精度を上げるために、意識的にそれを強化するのではなく、意識を外しつつ、意識的ではないやり方で精度を磨き、深めなくてはならなくて、それがけっこう難しいんだよなあ、と思う。でも、例えば自分の作品をつくりつづけるという時、この感じはとても重要で、必須のものであるように思われる。