●天気がすばらしかったので、外で(アパートの前で)背中に直射日光を浴びながら、トントン(金槌)と木枠を組み、バシッバシッ(ガンタッカー)とキャンバスを張る。そしてふと思った。今つかっているキャンバス張り機(名前を知らない、布を挟んでギューッって引っ張るやつ)は十八歳くらいからずっとつかっているし、ガンタッカーも二十歳くらいからずっとつかっている。普段そんなことをまったく意識せずにつかっているけど、今、自分の部屋にあるもののなかでは一番古いものではないだろうか。道具っていのは、そういうものなのだなあと思う。それにしても、そういう長年共に過ごした「道具」はぼくの手に全然馴染んでいない。もう二十五年以上キャンバスを張りつづけているのに、キャンバス張りがちっともうまくならない。なんで必ずシワが寄るかなあ。
天気がよいとひたすら気分が上がってしまうので調子に乗って作業をずっとつづけているけど、途中で、普段ひきこもっているのに突然炎天下で調子に乗り過ぎてやばいんじゃないかと思って、張りかけのキャンバスを玄関のドアのところに立てかけて、自販機のあるところまで坂を下ってゆく。まず自販機の前で缶コーラを一気飲みして、さらにスポーツドリンクのペットボトルを買って、それをぶら下げて坂を上る。
出来たキャンバスを部屋に入れ、アトリエの椅子に座って、ペットボトルに半分残っていたスポーツドリンクを飲みほした瞬間、汗がからだじゅうからどっとふき出した。ぽたぽたと床にたれるほどに。
夏の間、部屋のなかは外より暑いくらいなので、制作は無理なのだが、今日からはモードを切り替えていきたい。アトリエにピンと張られた何も描かれていないキャンバスが立てかけられていると、気分が高揚し、気も引き締まるが、同時に、絵を一枚描き上げることの途方もなさに、正直気が重くもなる。キャンバスの表面のザラザラした感触やその匂いに、なにかが掻き立てられて動いてゆくアゲアゲな感じと、この前でこれからどんだけ力を振り絞らなきゃいけないんだよ、という、ちょっと足が竦むような感じがある。
●最近、マティスの有名な制作過程の連続写真をよく見ているのだが、そのプロセスから、マティスがいかに三次元的な時空の秩序による縛りと果敢に格闘していたのかが(それはたんに制度としての遠近法などという簡単なものではなく、もっと深く、大きな射程をもつ、言葉を含めた人間の文化全体によって形作られているようなもののことだ)ひしひしと伝わってきて、その凄さにビビるというか、ちょっと尻込みしてしまう感じすらある。勿論、それはたんなる解体のための解体ではなく、マティスの言う「疲れを癒す肘掛け椅子」のような絵画空間を実現-構築するためになされているのだ。
●つづき、四回目。「ここで、ここで」(柴崎友香)について。
昨日、三つ目の場面は二つ目の場面の翌日だと書いた。しかし実は、二つ目の場面と三つ目の場面にそのような関係があると確定する根拠は、おそらくどこにもない。終電に近い時間に帰る二つ目の場面につづいて、《眠って起きると十時前だった》と三つ目の場面がはじまることから、自然に(自動的に)その連続性を感じているに過ぎない。実際この直前に、一つ目の場面と二つ目の場面との連続性の印象が、《一年半ぐらい経つか》という台詞によってひっくり返されているのだから、この自然な繋がりもどこまで信じてよいのか分からない。とはいえ、この小説は叙述トリックを用いたミステリではないのだから、ここにそんなに過敏になる必要はないだろう。ただ、二つ目の場面と三つ目の場面の関係(連続性)も必ずしも確定されているわけではないという、その危うく開かれた感触だけをなんとなく受け取っておけばよいのだと思う。そしてこの時間的関係の危うさは、四つ目の場面でさらに強くなる。
●四つ目の場面は、《去年の二月にバスを降りて橋に辿り着くまで、ほとんど人には会わなかった》とはじまる。これは、この小説の書き出しの文と、《去年の二月に》が付け加えられている以外まったく同じだ。そしておそらく、これ以降の場面は時間が逆行して、一つ目の場面の直前(小説がはじまる前)の様子が描かれている。
だがここで言われる《去年の二月》とは、一体いつを拠点(現在時)とした「去年」なのだろうか。二つ目の場面でも、一つ目の出来事について《去年の冬やから》と「わたし」は言っている。しかしこの台詞は登場人物としての「わたし」の言葉であるから、ここで「去年」とは、この場面、イベントの帰りの電車のなかで三人で話しているその時からみた「去年」となる。しかし四つ目の場面の冒頭の「去年」は、語り手としての「わたし」が地の文で言う(書く)「去年」である。つまりここで、登場人物としての「わたし」とは別の、語り手としての「わたし」が「どこ(いつ)」から語っているのかという問題が浮上する(このことは、最後の六つめの場面でも問題となる)。ここまでの三つの場面では、語り手と登場人物とはほぼ一致していた。つまり語り手は現在地点から、登場人物としての「わたし」に寄り添うようにして出来事を語っていた。だがここでいきなり、語り手としての「わたし」が登場人物としての「わたし」から分離して勝手に回想をはじめてしまうのだ(例えば、登場人物の「わたし」が帰りの新幹線のなかで回想したというのなら、ごく自然-凡庸な形になる)。つまりここで、今まで陰に隠れていた(小説世界を成り立たせている作動原理である超越的な)語り手としての「わたし」がその存在を唐突にあらわにするのだ。
しかも、小説の冒頭を反復するような形で、語り手があらわになる。だからこの唐突の語り手の露呈は、小説の冒頭にまで遡って、その効果を発揮する。つまり、作品の冒頭に置かれた、「(高所が)怖くない→怖い」という飛躍・非連続が起こったというその出来事は、登場人物である「わたし」にとっては予期せぬ一回的な最初の出来事(オリジナル)であるが、語り手としての「わたし」にとっては、当然「語り」として反復されたもの(登場人物としての「わたし」にとっては二つ目の場面で他人に話しているのと同じ位置にあるもの)だということを示す。登場人物としての「わたし」が、「さちほ」や奈良橋さんに話すように、語り手としての「わたし」が読者に向かって話す(書く)。一つ目の場面と二つ目の場面とは、そのような関係でもある。ここでまた、小説を貫く時間の流れに、あるいは各場面の関係性が生むトポロジーに、奇妙な捻じれが生じる。
(この辺りに、「わたし」が、登場人物・語り手・作者という三つの異なるレベルを曖昧に移動する私小説的な形でこの小説が書かれた理由があるのではないか。)
四つ目の場面の冒頭でいきなり自らの存在を主張した語り手としての「わたし」は、改行の後、再び登場人物としての「わたし」と一体化して姿を隠す。とはいえ、唐突な語り手の露呈と、根拠(現在時)が不確定なまま示された《去年の二月》という(指定にならない)時間指定によって、この四つ目の場面は自然な時間の流れのなかから浮き上がって掴みがたい感じになる(この場面は本当に一つ目の場面の前なのか、不安になる)。そして、いったんあらわれて姿を消した語り手の気配は、この四つ目の場面全体に不気味に影を落としていて、この場面をいわば、「スクリーンに投射した映像を再度撮影した映像」のような妙な距離感をもったものにしているように感じられる。
そのような四つ目の場面で、《わたし》は、無人の工場地帯を一人で歩きながら次のような恐怖を感じる。
《こんなふうに一人で歩いているとき、殺されないかと心配になる。空地や工場だからではなく、三年前の二月に高尾山に一人で言ってケーブルカーを降りて神社へ向かう途中で前にもうしろにも人がいなかったときも、怖くなった。なぜ殺されないんだろうか、と思う。殺されないほうが不思議だ。たぶん簡単に殺せるし、素知らぬ顔をして歩いて行けばばれないんじゃないかな。だけどまだ殺されたことはなかった。きっと運がいいのだろう。》
勿論これは、治安の悪い場所で感じる身の危険とはまったく異なる感覚だ。自分を殺そうとするかもしれない人への恐怖ではなくて、まったく逆に、人が誰もいないことが、殺されるという恐怖を生む。「人が誰もいないこと」が、「わたし」を殺そうとする、のだ。この感覚は、一つ目の橋の上の場面と反転的な関係をもっているだろう。
《ほんの少しでも動いたら、あっさりとこの適当な柵を乗り越えて海に飛び込むことができる、と思った。歩道を歩いている人はいないし、簡単にわたしはそうすることができる。自分が飛び込むのを止められる気がしなかった。》
誰もいないから、「わたし」は「わたし」を殺すことが出来る。たぶん、《ばれない》から、《誰も気づかない間に実行する》ことができる。《簡単に殺せるし》、「わたし」は自分がそれを《止められる気が》しない。しかし、いまのところ「わたし」はまだ、自分に《殺されたことはなかった》。そのような時もきっと、かろうじて「誰か」の気配があり、それによって押しとどめられたのだ。「わたし」は《きっと運がいいのだろう》、と。
このようにみると、四つ目の場面は、一つ目の場面の時間的な前段階というよりも、その潜在性として、一つ目の場面の裏側にぴったりと貼りついているように思われる。
つづく。