●『シュタインズ・ゲート』のDVDの六巻目(14話から16話)をツタヤで借りてきて観たらやたらと面白くて、今までずっと、三話分収録のDVDが一か月に一本ずつレンタルになるというペースで観ることをつづけていたのだけど、とうとう我慢出来なくなってネットに違法にアップされている動画を探して20話まで観てしまった。20話でとりあえず話に一区切りつくので、そこから先をつづけて観ることは抑制した。
(「ピングドラム」なんかも基本的に同じだと思うけど)ここで語られている物語の要素の一つ一つは別に新しくないというか、むしろかなり陳腐なものとさえ言えると思うのだが(未来のディストピア的なあり様の設定とか、ありきたり過ぎるとは思う)、世界線の移動とタイムリープの組み合わせという新たな「物語世界の基本ルール」を導入することで、物語の存在論的な位相がかわってしまっているように思う。
この物語は、ちょっと前に流行った、同一の状況(時間)が複数回ループするという話とは少し違って、ループしつつも、そのループそのものが登場人物の行動によって展開してゆくという形になっている。部分的な可逆性と全体的な不可逆性とが共存している。単線的に物語が進むのではなく、ある一定の可能性の幅(確率論的な幅)を同時に含みつつも(このことによって、物語の「現在」の厚みが爆発的にひろがりつつも)、時間が前に向かって展開してゆく。主人公の岡部が、「エンドレスエイト」においてはハルヒ長門キョンとに分けられていた役割の全てを担い、欲望の主体と行為の主体と観測者という位置に同時にたつことで、このような世界が可能になっている。あと、「世界線」という概念の、並行世界との微妙な差異も、それに貢献している。
物語の「現在」の幅の爆発的なひろがりによって、物語の小ささと大きさとが同時に実現されることになる。小さな器のなかに、膨大な容量が確保される。この物語は、秋葉原にある、数人の無名の若者たちによる研究所が舞台であり、彼らのごく狭い交際範囲のなかですべてが語られる。しかしそれは同時に、この世界全体の未来へ向けての大きな分岐点に関わる話でもある。主人公の岡部には、「まゆしい」なのか「クリス」なのかという身近な女の子の選択と、ディストピアである未来とそうでない未来との選択とが、同じ重さでのしかかることになる。世界を支配しようとするセルンという巨大な組織の話が、小さな研究所内の人間関係に(あるいは岡部一人の脳のなかに)収束するとも言えるし、小さな範囲のなかに無限の大きさが潜在的に内包されているとも言える(昔のSFみたいに、「大きな話」を語る時に世界をまたにかける政治家やジャーナリストなどを主人公にする必要はないのだ)。
ここでは、物語のスケールの大きさ(小ささ)という尺度に意味がなくなっている。自分が生まれるより前の母親に、「野菜をたくさん食べろ」という内容のメールを送ることによって、世界の様相が大きく変化するような世界では、事件の「大きさ/小ささ」は関係なくなる。しかしここで、世界線という概念が面白いのは、一方で事件(事柄の継起的展開)の複雑系的(バタフライエフェクト的)な拡散(事件の大小の無化)を扱い、しかしもう一方で同時に、その運命論的な収束も扱うことができる点だ(世界線は無数にあっても、世界の流れは基本的にひとつであること、さらに、原理上では無限に分岐する異なる世界線上の出来事が、巨視的にみるとある一定の収束をみせるいくつかの大きな束として見いだされるとされること)。並行世界的、あるいは複雑系的な拡散だけだと、そもそも「物語(あるいは表象)」という機制が無化され、成り立たなくなってしまう。しかし、現在が潜在性としては無数に分化しながらも、一つの顕在性に収束されること(しかしタイムリープによって顕在性が複数化されること)、さらに、潜在性の分岐のなかにも一定の収束則がみられるということ(現状と大きく異なる状態への分岐の確率は非常に低くなること)によって、つまり、フィクション世界にそのような基本ルールを導入することによって、拡散が収束を包摂すると同時に、収束が拡散を包摂するという相互関係が成り立つ作品世界となる。これによって、継起的に展開する物語に爆発的な幅を含ませ、爆発的な分岐に一定の収束=展開を可能にする。これは、我々にとっての「物語の経験」を質的に変えるものではないだろうか。
●13話から16話くらいの展開が特に面白いのは、「まゆしい」の死のループによって作品のフレームが急速に収縮して(視野が狭くなって)切迫度が増していって、今後どうなるのかと思っていると、その切迫度の底を打った後に逆転し、フレームがふっと大きくひろがり、それによって「まゆしい」の死が保留されるだけでなく、作品全体の構図も大きく動いて見通しが広がるという、緩急自在の流れが素晴らしかったから。この展開を通じてクリスの存在がますます大きくなって、その後の岡部をさらに苦しくさせることになるのだろうけど。それに比べ、17話、18話あたりの、アニメにありがちな「ヒロイン全員が実は主人公に惚れている」的なお約束の展開には、ちょっと引いてしまうのだが。こういうお約束をちゃんと入れておかないとアニメ好きの人は納得しないのかもしれないけど。