●お知らせ。明日(6月1日)の東京新聞、夕刊に、国立新美術館でやっている大エルミタージュ美術館展に展示されているマティスの「赤い部屋(赤のハーモニー)」について書いた文章が掲載される予定です。
●調べたら、駅の近くには二、三件だけネットカフェがあるみたいだったので、市役所まで住民基本台帳カード(パスポート以外では唯一の身分証)を受け取りに行くついでに立ち寄って必要なものをプリントアウトする。これからは、打ち込んだテキストをプリントアウトする度に(メールで送られてくるゲラをプリントアウトする時にも…)、バスに乗って駅までいかなくちゃいけないのか、と思う。
帰りは歩く。二十歳過ぎまで住んでいた地元だけど、駅の周辺はあまり歩いたことがなく、細かく歩いてみるとぼくが持っている地元のイメージとちょっと違う雰囲気もあって、案外新鮮だった。以前、市民体育館と警察署があった範囲がまるっと更地になって芝生が植えられていて、おーっと思う。駅近くの繁華街(繁華街のさびれ感は気になった)よりも人々が多く集っている感じ。ただ、かなり広いけど、道路からちょっと奥になっていて、広さのわりにはいまひとつ解放感というか「抜け感」がないのだけど(関係ないけど、衣料品を扱うテレビの通販番組ではじめて「落ち感」という言葉を知った)。
駅から歩くと、イメージしていた距離感とかなり食い違った。ある場所からある場所までは、思っていたよりずっと近く、別のある場所からある場所へは、思っていたよりずっと遠かったりした。トータルするとだいたいイメージ通りだったが。町名を示すプレートを見つける度にいちいち、「あーっ、そういえばあった、そういう地名」と思い出す。
●農業高校の脇にある坂道は小学生の頃のぼくにとって特別の場所だった。そこでなにか特別なことがあったというわけではなく、ただ、なぜかそこが特別に好きだった。坂道は軽く彎曲していて、高校の敷地に生える大きな木が覆いかぶさり、いつも影ができていた。自転車でそこを上る、あるいは下る時、影の下を通り抜け、葉がざわざわ震える音が聞こえ、青い匂いがする。彎曲している角の部分を過ぎると、こちら側とはちがう向こう側の風景が開ける。そのよろこびは他の場所を通り抜ける時とははっきりちがっていた。その場所のことをずっと思い出すことはなかった。わざわざ思い出す必要もないくらい親しく自分のなかにあるのだと思う。歩いて帰る途中、農業高校の正門を過ぎても、この辺もずいぶん感じがかわったなあと思うだけで、坂道のことは意識に上らなかった。そして角を曲がると坂道はそこにある。坂道を見た時、あれっ、これって実在する風景なんだっだっけと戸惑った。なんというのか、亡くなってしまって会えないはず人と夢のなかで会ってしまったみたいな奇妙な感じがした。
●今までほとんど使ったことがなかったのだが、新しいアトリエに移ってから色鉛筆でドローイングをするようになった。おそらく今からもう十五年以上前になると思うけど、画材メーカーの人(その人はもう亡くなっている)から、確か何かのアンケートだか記事だかを書いたお礼にといっていただいた100色入りの色鉛筆が(ずっと)あって、しかしそれをずっと使えなかった。それが今、ようやく活躍の機会を得た(この色鉛筆たちにとって三つめのアトリエでようやく)。