●今、制作している作品は、今までにやったことがないことをいくつか試しているので、なかなか進まない。失敗も多いし、展開が読めない(けっこう上手くいったのではないかと思って、数日したら絵の具がバリバリに割れていたりする)。これまで直観的にやっていたことを、間に二つか三つのプロセスを咬ませてやっているので手間がすごくかかる。「直観的な一つのストローク」と等価なものを実現するために、いくつもの手順と手数を必要とする。常に手を動かしているのに、作品は遅々として進まないし、一つ失敗した時に、それにともなって無駄となる手数はすごく多くなる(かつてない勢いで、高級水彩紙をたくさん無駄にしている!!)。おそらく、出来上がりはあっさりした感じに見えるものになると思うけど、プロセスはあっさりしていない。
要するに苦戦している。だからずっとアトリエで作業していて、あまり外に出られない。そんななか、横浜駅西口ちかくの、県立図書館の西口カウンター(ネットで予約しておいた本をそこで受け取れる)に行くために電車に乗るのが気晴らしだ。ところで、ぼくは浪人中ずっと横浜に通っていた。しかも、浪人は三年に及んだ。十代の終わりから二十代はじめにかけて、横浜駅西口から地下街を通って予備校へ通う毎日。今でも地下街を通るとその頃のことを思い出す。いや、具体的な何かを思い出すのではなく、気分としてその頃の感じになる。この地下街の構造というか、巣穴のような広がり方が、そのままぼくの十代終わりごろのざらざらした気分に重なっている。
この地下街は、ぼくの浪人中は「ダイヤモンド地下街」だったが、今は「ザ・ダイヤモンド」と呼ばれているようだ。そして、今年の終わりには「相鉄ジョイナス(横浜の駅ビル)」の一部として吸収され、地下街としての名前がなくなると知った。何が変わるわけでもないし、既に、フロアに入っている店舗やその配置などは大きく変わっている。ただ「ダイヤモンド」という地下街だけを指す名称が消えて、「相鉄ジョイナスの地下部分」となる。
相鉄ジョイナスの地下部分は依然としてあり続けるし、空間の構造としてのそれもありつづける。しかしそれはもはや名づけられるものではなくなった。「ダイヤモンド地下街」という名の場所は過去にしか存在しないものになり、しかしぼくは、これからも何度もその過去のなかを歩く。
(地下街を歩いていると、浪人中にたくさん本を買った、有隣堂の思想書の棚の前に、そのまま歩いて行き着くことが出来ない――有隣堂は別の場所に移ったし、ずいぶん縮小された――という事実が、夢のなかで行けるはずの場所にいつまでも行きつけないときの感じと同じような、理不尽なことのように感じられる。)