プロ野球に関心がなくなってから随分経つけど、「谷繁引退」というニュースをネットで見かけ、谷繁が今もまだ現役をつづけていたのだという事実に驚いて、『カンバセイション・ピース』を思い出すのだった(谷繁が監督になってるし)。
もしかすると、ローズについての記事を読んだとしても『カンバセイション・ピース』のことは思い出さなかったかもしれない。この小説で谷繁のことが妙に気にかかるようになった。
以下、『カンバセイション・ピース』(保坂和志)から引用。小説で描かれているのは2000年のシーズンのベイスターズカープ戦。
《その二日後に私は十日ぶりに横浜球場に行った。
サボッていたわけではなくて、甲子園からナゴヤドーム、それから札幌と遠征がつづいていたからで、そのあいだ前川は二軍の試合を見に、横須賀に行ったり、平塚に言ったり、所沢の西武ドームにまで行ったりして、顔も腕も昼間の試合ですっかり二軍焼けしていて、「ガラ空きだった」という西武ドームでは、キャッチャーの谷繁の近所に住んでいるという女子高生と知り合いになって、二時間半の退屈な試合のあいだじゅう、谷繁が日頃その女子高生に話しているというベイスターズの裏情報を聞き込んできて、それを今度は私が横浜球場のライトスタンドで聞くことになった。》
《(…)反対側では前川が、
「谷繁、佐伯、波留の関西トリオが仲が良くて、キャプテンの石井は人望がなくて孤立してて、斎藤隆くらいしか仲のいいのがいないんだって」
と、応援の合間に切れ切れに又聞きの谷繁情報をしゃべっていた。先発は小宮山で小宮山はランナーを出しながらも一、二回は零点に抑えていた。しかしコーナーぎりぎりに投げた球を主審がストライクにとらない。
「また杉永だよ」
と前川が言うのと同時に大峯が、
「こら、杉永ァ! 八百長してんじゃじゃねえぞ! 大洋にドラフト一位指名してもらった義理ってもんがあるだろ! 義理がよう!」
と、怒鳴ったけれど、このヤジにはいつもの「ヘッヘーェ」はなかった。》
《そして前川は、
「谷繁に言わせると、今年の鈴木尚典と川村の不振の原因は、二人を野手キャプテンと投手キャプテンにさせたからで、やっぱり指名した石井が悪いってことなるんだよな」
と、谷繁情報をしゃべりつづけていた。
「オイ! あれがボールかよ! 杉永ァ!
鈴木尚典と川村は二人とも全然キャプテンに向いてない性格なのに、それがわかってて、石井が自分一人でチームをまとめるのが大変だからって、野手キャプテンと投手キャプテンなんて、変なの作って、それが大失敗だったんだって」
五番ロペスはいい当たりで、一瞬私は口が開いてしまったが、さらに藍色の濃くなった空に高く上がりすぎてフェンス手前で鈴木尚典が捕ってチェンジ。
「オー、ケツの穴がシビレたぜェ」
と言って、大峯は立ち上がって、三杯目のビールを買い、私も買った。前川は持参の酒をスポーツ飲料の容器からストローで飲んでいる。毎試合来ていると一杯四百八十円の球場のビールなんか買っていられないのだ。
「谷繁は将来自分が監督になると、本気で思ってるらしいんだよ」前川が言った。
「無理だよ」
「やっぱり石井琢朗だよな」
「ローズだよ」
と私が言ったところで、三回裏の応援の三三七拍子がはじまった。》
《駒田の歌は、
「白い流れ星 大きく舞い上げろ
冴えたホームラン 見せてよ駒田」
だ。しかし今年の駒田にはもう誰もそんなもの期待していない。通路のリーダーだって締まりのない顔をしている。この歌が歌われている中で、本当に大きく弧を描くホームランを打った時代が駒田にもあったのだ。しかし応援のトランペットと太鼓とみんなが叩くメガホンの音は、期待していなくてもそれなりに鳴っていて、その音の中で前川が私の耳元に顔を近づけて、何か言った。私は聞き返した。
「最大の谷繁情報!」
「何だよッ」
と言って、私はグラウンドに顔を向けたまま、前川の方に体を傾けた。前川が左手を口に添えて言った。
「ローズは今シーズン限りで引退」
私は前川に顔を向けて、キスするくらい顔を近づけた。
「ホントかよ」
駒田なんか見てる場合じゃなかった。
「谷繁情報の又聞きだよ。あくまでも。
引退で、背番号23は欠番」》