●ようやく、磯崎憲一郎「見張りの男」(「文學界」7月号)を読んだ。面白くて三回つづけて読んだ。連作の一回目が母の話で、二回目が娘の話で、三回目は「孤独」の話なのかと思って読んでいたらじつは「過保護」の話だった、という…。そう思ってもう一度最初から読み直すと、書き出しから思い切り過保護な書き出しなのだった。小説全体に、保護する親の眼差しと保護される子のまなざしが何重にも響きわたっていつつ、その保護と被保護の波の重なり合い干渉し合う部分にハードボイルドな「孤独」が立ち上がる(《そうか、俺は、俺自身の人生に見張られているな》)という、すごく不思議な小説。《生涯を通じてもっとも近くで、もっとも長い時間を共に過ごした人間がその人を理解しているとは限らない、理解者は往々にして遠くにいる》という距離の感覚が描かれながらも、同時に、《子供なんていうものは甘やかせるだけ甘やかして育てないと、大きくなってからもおくるみで包んでやるかのように育てないとダメなんだ、さもないと復讐のために一生を浪費する人間ばかりでいずれこの世界は埋め尽くされてしまう》という密着の感覚も強く肯定される。というか、自分自身の人生を自分で見張るような厳しい距離の(孤独の)感触は、この密着の(過保護の)感触を前提にしてはじめて成立しているという…、これはおそらく磯崎さんにしか書けないような大胆な小説ではないか。
●今日のドローイング。