●昨日、今日と小説の推敲。カットの(シーンの、ではない)順番を入れ替えたり、このカットの切れるところ三コマ短くして、そこに別のあのカットのアタマを短く挿入するとどうか、みたいな、編集の詰めみたいにことを延々やっていた。
幾何学的な均衡と構造的な均衡は違うということを、最近は作品をつくるときに考えている。幾何学的にみると、バランスが悪い、アサッテの方を向いてしまっている、混沌としている、あるいは破綻している、ように見えても、そこに構造的な必然性があるということがある。
●ここで幾何学的とは、形や図像や理屈として見ることができるということで、構造的とは、可視化されず、これと言って指し示すことは出来ないが、その場の生成を律している何かがあると予感されるという時の、予感としてしか与えられない秩序のこと。どういう秩序なのかわからないけど、秩序のようなものがある気がする、という風にしか感じられないもの。それはだから、超越的というより、潜在的なものだといえる。
幾何学的な秩序は見て取ることができても、そこに構造的な秩序(関係性)の予感が感じられない時、そのイメージは、浅いとか薄っぺらとかいうように感じるのだと思う。