●科学啓蒙書の翻訳家として有名な青木薫の書いた人間原理についての新書(「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」)を読んだ。この本で特に何か新鮮な刺激が得られたということはないのだけど、さすがに上手くまとめられていて、おかげで今までいろいろな啓蒙書で読んで頭のなかでごちゃごちゃしていたことがいくらか整理されて、理解の助けになった。
面白い表現が一つあった。古典物理学決定論的な世界観が、≪決まってしまったことは、なるようにしかならない≫というような世界だと表現されていて、そのような「決定論」に対して量子物理学的な世界観は≪強制的世界観≫だとされ、それは≪禁止されていること以外は、すべて強制される≫というような世界だと表現されていた。
これは、他の本ではだいたい、古典的な決定論では、一つのことが決まると、因果関係によって他のすべても「一つ」の状態に決まるのだけど、しかし量子論的世界では「一つ」ということには簡単にはならなくて、可能性のあることはすべてこの世界のあり様に影響する、という風に解説されることだと思うのだけど、その表現を裏返すようにして≪禁止されていること以外は、すべて強制される≫のだというと、ずいぶんニュアンスがかわるし、おお、そういうことでもあるのかという新鮮な感じがする。「一」に対して「多」であるとしても、それは「決定」に対して「強制」ということであって、どちらにしても物理はハードでタイトなものなのだという感じが強く出る。
●最近読んでいるSF小説によく「特異点」という概念が出てくる(例えば、今読んでいるチャールズ・ストロス『アッチェレランド』は、まさにそれを主題にしている)。特異点とは、コンピュータなどの人工的な知能が、人類全体の知能を超えてしまい、それ自体として自律した独自の発展をはじめてしまう地点というような意味だと、ぼくは理解している。人工物が人間の手を離れて勝手に自分自身を更新しはじめるというイメージ。そして、その特異点という概念はもともと、『ポストヒューマン誕生』(レイ・カーツワイル)という本からきているらしいことを知る(この本のことは西川アサキさんから教えていただいた)。
この本では、その特異点が具体的に「2045年」と特定されているらしい。さらに、この本にはどうやら「人は近いうちに死ななくなる」ということすら書いてあるらしい。この本はSF小説ではなくガチな未来予測の本で、著者は発明家でAI研究者でもある人で、(本が書かれた当時の)様々な分野の最新の技術的達成が踏まえられて書かれているという。いやもう、そういうの大好物だから、これは読むしかないという気持ちになった。
(ちょうど今日、「死ぬわたしと、それとは別のわたし」というタイトルにした、ある小説の書評のゲラ直しを返信したところだった。)