●『トランス・ワールド』(ジャック・ヘラ―)。面白かった。監督の名前も聞いたことないし、前評判とか何も知らず、なんとなくレンタルしてきて10分か20分くらい観てつまらなかったらすぐにやめようくらいの感じで観はじめて、出だしは特に何とも思わなかったのだが、すぐに舞台が森のなかに移って、誰とも分からない女性が彷徨っている場面の辺りからピーンと緊張感が張り詰めて、おお、いいじゃんと思い、でも、この緊張はいつまで持続するのだろうかという値踏みするような感じになり、しかしそれはなかなか途切れず、もしかするとこれは……と姿勢を正し、ドキドキしながら観るようになり、それがちゃんと最後までつづいた。登場人物自身が、自分の置かれた状況を把握できないのと同じように、観客もまた目の前で起きていることが把握できないという状態で映画はつづき、特にこれといって派手な仕掛けやハッタリなどがあるわけではなくて、わけが分からない世界のなかで信頼できるか分からない人物たちの関係が持続し、しかしそのなかで手さぐりで少しずつ世界が探られてゆく様が、ひとつひとつ丁寧に積み重ねるように提示されてゆく。そんななかでも少しずつネタが割れはじめると、観ているぼくの方がこらえきれずに先走ってしまって、ああ、結局そういうことなのか、という風に緊張が緩みそうなところもちょっとあったのだけど、いや、そんな簡単なことじゃねえよ、と、映画の方から叱咤されるように再び緊張を呼び戻してくれる。オチを知ってしまえば、ああ、なるほどね、という程度のことではあるのだけど、そこに至るまでの過程の時間が少しも緩むことなく持続していた。
プロローグとエピローグを除いて、舞台は、森と、森の中の小屋と防空壕だけで、出ている俳優も四人だけという、見るからに低予算の映画で、派手な出来事もエフェクトも表現もなく、特に話題性もない(イーストウッドの息子が出ているのだけど、それも観ているときは知らなかった)映画なのだけど、「低予算である」ということを差し引いて観る必要はまったくないようにちゃんとなっていた。森という空間の具体性(表情の豊かさ)と抽象性(方向や距離感など、空間の分節化が難しい)が十分に生かされていて、それが主題とも必然的に絡んでいて、画面が貧しい感じや表現として弱い感じはまったくなかった。