●お知らせ。「新潮」11月号に山下澄人『砂漠ダンス』の書評(「死ぬわたしと、それとは別のわたし」)が掲載されています。この本は、表題作の「砂漠ダンス」も面白いけど、一緒に収録されている書き下ろしの「果樹園」という小説がすごいです。
●読み始めたばかりでまだ三分の一を越えたくらいだけど、『レインボーズ・エンド』(ヴァーナー・ヴィンジ)という小説が面白い。いや、小説としてはちょっと凡庸だとも思うのだけど、そこで示されている世界観が面白い。
アルツハイマーを患っていた文学史に名を残す偉大な詩人が、高度な医療によって復活し、身体的にも十代にも見えるまでに若返るのだけど、主にテクノロジーの面で世の中の変化が早くなり過ぎていて、彼は浦島太郎状態で社会に適応できず、高校の落ちこぼれクラスでバカな若者たちと一緒に職業訓練の授業を受けざるを得なくなる、という話。そのクラスには彼のほかにも、過去に様々な業績を残した優れた工学者や、大学の文学部で彼と敵対していたかつての同僚教授などの老人たちも若者に混じっているのだけど、彼らは皆、出来の悪い若者たちからさえバカにされるようなことになっている。つまり、かつて優秀だった知的なエリートでさえ追いつけないほどに技術進歩のスピードが増した時代が舞台ということになる。おそらくこの感じは既にかなりリアルなのではないか。
詩人はそれでも傲慢で自分勝手で他人に対して容赦なく、つまり偉そうな振る舞いを押し通し、彼を気遣っていろいろ尽力してくれる孫娘を平気で傷つけたりする(彼は本物の偉大な詩人であるが、妻からも息子からも完全に愛想をつかされている最低の人物でもある)。しかしその一方、落ちこぼれのナードな若者とのつき合いから少しずつ新しいテクノロジーの使い方を吸収しはじめると、徐々に数学や工学に対する興味が出てきて、それとともに詩への情熱が薄れてゆく自分自身に戸惑ったりもするようになる(詩作をするかわりに、子供向けの数学の練習問題を解いたりするようになる)。孫娘(彼女は落ちこぼれクラスではなく優秀な若者だ)は、「自慢のおじいちゃん」がバカなナードに影響されてそのような変化をみせることに我慢できず(酷いやり方で傷つけられたのになお)、彼が文学的情熱を取り戻せるようにいろいろと画策したりする。このようなお話に、人間を完全にマインドコントロールする細菌兵器をめぐる国際的な攻防が絡んでくる(らしい、まだ途中までしか読んでいない)。おそらく、マインドコントロールが容易に可能であれば、「死ななくなった」がゆえに「適応できなくなった」人たちを、簡単に「適応させる」ことができるようになる、ということだろう。
技術の進歩が速すぎて若者しか適応できないということは、それを習得した若者もまたすぐに古くなるということだ。その一方で、技術はどんどん人を長く生きさせるように(老いぼれることを許さなく)なる。そこで人は「記憶」(あるいは尊厳のようなもの)を剥奪されて、その時その時の世界に適応可能な形に書き換えられて何度もリサイクルされるしかなくなる……、のだろうか、と。しかしこの小説は、そのような遠くない未来のビジョンを告発的に、ディストピアとして示すのではなく、そのような(すぐ目の前に十分にあり得る)世界でどんなことが起き得るのかということの具体例を、いくつも丁寧に拾い上げ、未来的なガジェットをまぶしつつ、(簡単に否定したり肯定したりするのではなく)様々なニュアンスをこめて冷静に一つ一つ示してゆくという抑制された調子で書かれている。だからこれは、物語ではなく、あり得るかもしれない世界のあり様の一つの模型であり、その中で、人々がどのように生きることになるのかを様々な角度から検討した一覧表のようなものであると思う。そのようなものを読むことは、思考実験であり、自分自身が当事者であるかしれないことの予行演習だとも言える。
●この本を読む前に同じヴァーナー・ヴィンジの『マイクロチップの魔術師』という小説を読んだ。インターネットがまだこの世に存在していなかった81年に書かれた、サイバーパンクの起源のような小説だという。さすがに今読むと「普通だな」という感想になってしまうのだけど、しかし逆に、この時点で、今ある「この手の話(「攻殻」とか「マトリックス」とか)」に出てくる要素のほとんどは既に書かれていたとも言えて、それはすごい。存在しないものを言葉で書くわけだし。ネットとかウェブという言葉がないので、それを「別平面」という言葉で表していたりする(翻訳が出たのが89年で、この時点でもまだインターネットは一般的ではなかった)。
ヴィンジは、現在は専業の作家だけどもともとは数学者でもあって、訳者のあとがきによると、勤務していた大学のコンピュータに接続して、こっそりと他のユーザーたちを観察していた(それってハッキングしてたっていうことですよね?)ところ、たまたま同じようなことをしている別の誰かがいて、その誰かと、互いに身元を隠した架空の名前で少し会話をしたという経験が、この小説のアイデアのもとになったという。
この小説にはマーヴィン・ミンスキー(『心の社会』の著者のAI研究者)による長い解説もついていて、この解説を読むために本を買ってもいいんじゃないかというくらい面白かった。