●イギリスの家畜見本市で、来場者にある一頭の雄牛の体重を推測してもらって、最も正解に近かった人に賞金が出るというコンテストが行われた時、すべての応募者の推測値を平均した値が、ほぼ正確にその牛の体重を当ててしまったという(正解は1198ポンドで、平均値は1197ポンドだったという)。あるいは、ジャック・トレイナーが行った実験で、ビンのなかに入ったジェリービーンズの数を学生に当てさせたところ、正解が850個で、学生57人の推測の平均値が871個となり、それよりも正解に近い推測をした学生は一人しかいなかった、と。
これは『「みんなの意見」は案外正しい』という本に書かれた例だが、西垣通の『集合知とは何か』に、どうしてこのようなことが起こるのかの数学的な根拠(タネ明かし)が書かれていた。
●N人のメンバーがある対象の数値を推測するとき、メンバーiの推測値をX(i)とする(i=1,2…N)。集団的推測値をAとすると、それは平均値なので、
A={X(1)+X(2)+…+X(N)}/N
となる。正解をRとすると、メンバーiによる判断の正解との誤差は(X(i)−R)²である。平均個人誤差は、
{(X(1)−R)²+(X(2)−R)²+…+(X(N)−R)²}/N
となって、この値は、メンバーの推測値が正解と平均してどのくらいズレているかを示す。
次に、メンバーの多様性を考える。多様性は推測値のバラツキで表され、統計学でいう分散値に対応する。それは次の式であらわされる。
{(X(1)−A)²+(X(2)−A)²+…+(X(N)−A)²}/N
で、「集合知」による推測の誤差(集団誤差)は、
(A−R)²
となる。集団誤差が小さいほど、N人のメンバーによる集合知は正しいということになる。これを計算すると、
集団誤差=平均個人誤差−分散値
となる。
●集団誤差を小さくするには、平均された個人の誤差が小さいことが必要だと言うのは当たり前のことだけど、それに加えて、それぞれの個人の判断が多様であることが必要となることが、この式から分かる。要するに、同質性の高い集団による「集合知」は、そのメンバーの任意の(あるいは「代表された」)誰かの判断とあまり変わらないから(それはつまり「専門家」による知見のようなものだ)、集合知である意味はあまりないということになる。一方、一人一人がそれぞれ独自のやり方でバラバラな判断をするような集団においてこそ、集合知の信頼性が高くなり、その意味が生まれる、と。まあこれは、あらかじめ「正解」が決まっている単純な問題にしか当てはまらないことではあるけど。
これで面白いのは、まず最初に、個々人の判断の多様性が必要であり、その上で、平均化によって多様性(「個」性)が消される(匿名化される)ことで、集合知という新たなフェーズがあらわれるというところだと思う。つまりここで、個と多との関係が、いわゆる表象−代表制とはまったく異なっているというところだ。
従来であれば、たとえばaという判断をする傾向にある人たちのなかから特に頭のいい(あるいは政治力のある)Aさんというオピニオンリーダ―が頭角を現し(つまり固有名化する)、bという傾向の人たちからBさん、cという傾向からCさんが代表されて、AさんBさんCさんの間で、論争なり政治なりが行われた結果として、集団としての何かしらの解答が導かれるというのが、個と集団の関係としてあったといえる(古い意味での「批評」もそうだ)。個と集団の間には、代表と政治があるという感じ。それに対して、集合知というモデルにあるのは、多様性(個々、それぞれのバラツキ)とその平均化という、相反するようにみえるものの統計的な掛け合わせだ。
(このような「感覚」が多くの人に実感されるためには、多様な多様性を結びつける中心のないネットワーク、それらの膨大な多様性の微小な差異を記録する記憶容量、そしてその膨大な情報を処理し得る計算能力、という、人間が今まで用いていたものとは別種の知性が実現されているという「環境」が必要なのだろうと思う。)
我々の先入観だと、「平均」という操作によって、何か重要な「魂」のようなものが抜けてしまうのではないかという感覚がどうしてもあるのだけど、ここでは逆で、平均という操作によってこそ何ものにも代表されない「多様性」が肯定されるとも言える。代表制によってでは切り捨てられてしまうような微小なズレもまた、バラツキの度合いとして統計操作上で「解」を得るために生かさせる要素になるかもしれないから。これを、直接民主制のようなものの可能性の萌芽とみるのか、それとも、すべてを呑み込む恐ろしい全体主義のはじまりとみるのかは難しくて、こんな簡単なモデルからだけでは何とも言えないと思うけど。実は、どっちもそんなに違わないということなのかもしれないし。
●こういうことを考えると、「言葉」による思考のどうしようもない限界を強く感じざるを得なくなる。