●昨日、西川アサキさんが、「今やっている研究を全部やめて、人工知能の研究をした方がいいかもしれない、それで出来た人工知能に答えを教えてもらう方が効率的かもしれない」ということを言っていて、それに対して「でも、人間より圧倒的に賢いはずの人工知能が人間にやさしくしてくれる保証はないので、答えを教えてくれるとは限らない、知ってるけど教えてやんない、ということになるかも」という話をした。このやり取りは勿論冗談だけど、冗談というのはその底にリアリティがなければ面白くもなんともないわけで、この話が近い将来まったく笑えないシビアな話になるかもしれないという現実的な感触があってはじめて成立すると思う。
実際、おそらく近い将来実現されるであろう「人間より賢い人工知能」が、人間に対してどんな態度をとるのかは分からない。友好的に接してくれるかもしれないし、完全に無視されるかもしれない。もしかしたら人類を滅亡させにかかるかもしれない。このような話は、SFが昔から、例えば異星人とのファーストコンタクトというような形で繰り返し描いてきた話に似ているけど、それが今までとは別種のリアリティをもって立ち上がってきている感じがする。異星人は、もはや「異なる文化」や「意思疎通不可能な人(サイコとか)」のメタファーではないし、「神」のような抽象概念よりはもっと強い具体性をもつものになっている。このような話が現実性を帯びることによって(つまり人工知能の現実的可能性によって)、過去の人が「神」と呼んだ概念に近いものの端っこに触れているのかもしれないけど。
(今回の講義のためにいろいろ考えていて、改めて、『南極点のピアピア動画』はすげえな、と思った。)
●四谷アート・ステュディウムが閉校するというニュースを聞きました。この学校に深く関わったというわけではない者ではありますが、大変残念に思います。
まず何より、このような場が十年にもわたって存続し得たということはそれだけで奇跡的にすごいことであり、その点に関して私は、近畿大学、そして岡粼乾二郎さんをはじめ運営に関わった方々に対して強い尊敬の気持ち持っています。
しかし、切断はいつも唐突に起こるとはいえ、学生たちに対してきちんとした説明もないまま、この時期になって「やめます、来年の四月からはもうありません」という閉じ方はあまりに理不尽ではないかという気持ちはどうしても抱いてしまいます。
(どのような人たちが、どのような経緯、理由で決定したのでしょうか。)
創造的な場は、今後も、かたちを変え、至る所に、繰り返し何度でも、生まれてくるはずであり、また、それぞれの個人がそれぞれのやり方でそうであるように努めなければならないし、そうするしかないのだろうと、私は思います。