YouTubeに、AOKItakamasaがゲスト出演している細野晴臣のラジオ番組の録音がアップされていて、それを聞いていた(AOKItakamasaはけっこう好きなので)のだけど、「スーパーストリングス」という曲がかかった後、細野晴臣が、「これ、ひょっとして超ひも理論のこと?」と尋ねて、AOKItakamasaがそうだと答えたことで、しばらく物理や科学の話になって、その流れのなかで細野晴臣から「物理学はオカルトの領域を超えてるよ」という発言が出てきて、おーっ、となるのだが、あの細野晴臣に「オカルトを越えている」と言わせる現代物理学ってやっぱすげえなあと、改めて思ったのだった。
https://www.youtube.com/watch?v=7_Tt9TaTuho
●一昨日の日記に書いた、「わたし」のもとに起こる出来事「A」というのは、たんに人生の上で重要な出来事というだけでなく、そこに例えば「身体」や「脳」を代入することも出来る。「わたし」のもとに「この身体」が起こった(あるいは逆に、この身体のもとに「わたし」が起こったと言うべきか)ことによって、この身体以外は「わたし」ではなくなってしまう。別の身体の上に起こっているわたしは、もう「わたし」とは言えなくなる。
例えば、ある朝、わたしが通勤の途中で拾った財布は、おなじ経路で通勤しているあなたが拾っていてもおかしくはなくて、たまたまあなたが忘れ物を取りに戻ったため普段より五分遅くそこを通ったから、わたしが拾うことになったのかもしれない。この時、この財布はわたしの手元ではなくあなたの手元にあったかもしれないと考えることはたやすい。しかし、わたしがこの身体のもとで、この身体とともに「わたし」となったことは偶然にすぎず、「ここ(この身体)」はもしかするとあなたとともにあったかもしれないと考えるのは難しい。そもそも、その「あなた」がたとえ誰であろうと、結局はそれ(この身体、あるいは「ここ」)が「わたし」なのではないかとも言える。そして、わたしが、この身体ではなく、今、あなたとしてある身体の傍らで、その身体とともにわたしとなっていたとしても、それは結局「あなた」なのではないか、と。
そうだとすれば、わたしとあなたとは簡単に交換可能であり、しかし絶対に交換不可能でもあるということになる。いや、これは言葉の上だけの操作で、この文が一体どういうことを表現しているのかはよく分からず、まったくなにも言っていないに等しいのだが。でも、この意味不明な操作(形式)が、何かを表現しているようにも思われる。