ETV特集「よみがえる色彩 激動の20世紀アーカイブ映像の可能性」というテレビ番組を観た。なにかヤバい、見てはいけないものを見てしまったという感じがする。過去を冒涜するかのような鮮やかさというか、現前の暴力というものの(あまりに魅惑的な)力を見せつけられたようだ。キリスト教的な復活という概念のもつ感触の端っこに触れてしまったようでもあった。
(はじめてメガネをつくってかけた時の「こんなに見えちゃうのか」という感じにも近い。)
番組を観て判断する限り、技術的には大したものではなく、資料を調べて想定される色をデジタル的に塗り絵するという程度のもので、モノクロ映像のデータから直接的に色彩を読み取ることが出来るということではないようだ。だから、映像が撮られた当時の色彩が再現されたというより、多分に見世物的な演出効果(恐竜の皮膚の色は分かっていないのに恐竜の復元図には色がついている、というのに近い)でしかないだろう。ぼくの美的な趣味からすれば耐え難いと言う感じすらある。とはいえ、ちょっとそれっぽく塗り絵しただけで(あくまで「それっぽく」に過ぎないとしても)、こんなにも現前性が強くなるのかと、うろたえてしまった。こんなに鮮やかだと、もうノスタルジーという感情が機能しなくなるのではないか。
現時点の技術が大したことないとしても、おそらくそう遠くないうちに、モノクロ映像のデータを自動的にカラーへと変換する技術や、解像度を高くする技術、二次元の映像から三次元の空間配置を読みとってモデリングし、別のアングルからも見られるようになる(あるいはホログラム化する)技術などが一般化されるのではないか。それが本当に過去の再現と言えるのかという疑問は、おそらく現前性の圧倒的な強さによってかき消される。そこにあるのはゾンビの復活のような感覚で、過去がいつまでたっても過去になってくれない(過去との適切な距離が保てない)、過去が常に現在と同じくらいの強度で現前しつづけるような世界なのではないか。大げさに言えば、一回起こってしまったことが決して消えてくれない世界、世界そのものがPTSD化したというような世界になってしまうのではないか。世界はこのようにして、最後の審判に一歩ずつ近づいてゆくというのだろうか。これは本当にヤバい。
ぼくはいままで「ゾンビ」というものにあまり興味をもてなかったのだけど、この番組を観て、ゾンビというものの恐怖の感触の一端に触れたような気がする。
●少なくとも現前というレベルでは、現在と過去との区別がつかないくらいの強さで現れてしまうPTSD的な世界において「正気を保つ」ためには、フィクションがどのように機能するのかということが、やはり重要なのではないだろうか。それは「起こらなかったこと」の権利の問題でもあると思う。
とはいえ、こういうヤバい状態にさえ、人は簡単に「慣れて」しまうのかもしれない。