●2007年に公開された、日系アメリカ人画家ジミー・ツトム・ミリキタニに関するドキュメンタリー映画ミリキタニの猫』が(『ミリキタニの記憶』という新作と一緒に)、一日だけ上映されるみたいだ。
http://www.nekonomirikitani.com/
公開された年の「映画芸術」420号に掲載された、『ミリキタニの猫』についてのレビューを、ここに再録しておきます。

写生しないミリキタニが写生する時/ミリキタニの猫』(リンダ・ハッテンドーフ )


古谷利裕


おそらく人は、年齢を重ねれば重ねる程、外側(現実)よりも内側(記憶)の方が重くなってゆく。生まれたばかりの赤ん坊は、外の世界と触れ合うために手足をばたつかせ、その伸ばした手足の動きによって、外側の現実と自身の身体とが新たに出会い、そこで触れたものによって、自身と世界との関係をその都度新鮮に更新するだろう。しかし、歳を重ねるにつれて、それに出会う以前には決して戻ることの出来ないような、決定的な出来事を否応もなくいくつも経験してゆくことになり、記憶の重みが、自分と外側の世界との関わり方を縛るようになるだろう。
画家であるミリキタニは写生をしない。若い頃のミリキタニが、どんな動機で画家を目指したのかは分らないが、八十歳を迎えた画家は、過去の出来事ばかりを、何度も何度も繰り返して描こうとする。ソーホーでホームレスをしていた時期にも、ニューヨークの風景や道行く人々を描こうとせず、この映画を撮った、監督のリンダ・ハッテンドーフと同居するようになっても、彼女の肖像を描こうとはしない。彼が描くのは、幼い頃に見た広島の柿の色であり、収容所の風景であり、そこで出会った少年にせがまれて描いた「日本の猫」である。ミリキタニにとって描くことはおそらく、その度に新たに過去(記憶)を生き直すことであろう。描くことによって過去を生き直す事を繰り返す限りにおいて、今、現在、自分の周囲にある環境には無頓着でいることが出来る。彼が生きているのは、9・11前後のニューヨークではなく、戦前の広島であり、戦争中のツールレイクであるのだ。だからこそ、倒壊した貿易センタービルの粉塵がもうもうと辺りに立ちこめるなか、彼は一人平然とそこにいつづけることが出来た。
しかしそれは、彼がホームレスであり、孤独であることによってなのだ。ホームレス時代の数少ない友人であるシモムラと話すことは、収容所のことであり、かつてジャクソン・ポロックに寿司や天ぷらをふるまったという過去のことばかりだ。シモムラの話によれば、ある日の彼はひどく不機嫌で、二時間以上もぶっ通しでアメリカ政府批判の演説をぶっていたという。しかしそれも、現在のアメリカへの批判ではなく、日系人たちを収容所に追いやったかつてのアメリカへの批判であり、その演説によってまた、彼は過去を呼び出し、それを生きているのだろう。ドキュメンタリーのカメラが孤独な老人を捉える時、そこで撮られているのは現在であるよりも記憶である。しかしそれは、老人が語る思い出話のなかに記憶が現れるというだけではなく、その老人が「現在」と関わる、その関わり方の有り様のなかにこそ、記憶が刻み付けられているということなのだ。広島の柿を描いた絵のオレンジの鮮やかさや、ほとんど同じ絵だとしか思えないような収容所の風景を何枚も何枚も描く、その執拗さのなかに、ミリキタニに刻まれ、ミリキタニを縛り、ミリキタニが孤独にそのなかを生きているのであろう記憶の、深さや強さが現れている。
しかしこの映画のユニークなところは、それだけで終わらないところにある。瓦解した貿易センタービルの粉塵のなかに一人佇むミリキタニを、この映画の監督は自分の部屋に招き入れる。ひたすら過去の反復のなかに生きていた孤独な老人に、若い同居人との関係が生まれることによって、ほんの少しだけ「現在」が(現在との関係が)ひらかれるのだ。例えば、若い女性である監督(リンダ)の帰宅が深夜になったことを心配し、まるで口うるさい父親のようにリンダを問いつめるミリキタニ。ここには、過去の反復のなかを孤独に生きることとはまったくことなった、現在への関心があらわれている。


サクラメントで生まれ、幼い頃を広島で過ごし、「自分はアーチストだから兵隊にはならない」と言ってアメリカへ戻り、親戚を頼ってシアトルのクリーニング工場で働きながら絵を描き、しかし日米開戦によって収容所へ入れられる日系人ジミー・ツトム・ミリキタニ。収容所で市民権を剥奪され、その後も冷凍食品工場で半ば強制的に働かされていたミリキタニは、アメリカ政府を嫌い、それは社会保証を受けることさえ拒否しようとするほどだ。彼は、広島を懐かしがり、サムライ映画を好み、毛筆を巧みに操って水墨画や書を描くのだが、戦争で親族が皆亡くなってしまったために、日本に帰る場所は無い。この映画のなかでミリキタニは、「北国の春」や「奥飛騨慕情」を歌う。しかし、その発声やメロディはオリエンタル的に変形されていて、いわゆる日本の演歌的な「湿り気」がない。この不思議な調子こそが、ミリキタニの存在の、日本とアメリカの間に宙づりにされた居場所のなさを示しているようだ。
これらのことが明らかになってくるのは、ミリキタニが監督と同居するようになってからだ。繰り返し描きつづけられる絵(イメージ)の反復的なあらわれ(強度)としてあった記憶が、具体的な因果関係をもった記憶(歴史)として開かれてゆく様は、ミリキタニが「現在」への関心へとひらかれてゆく過程と平行している。同居したばかりの時期、9・11関連のテレビニュースを眺めながらアメリカ政府を罵るミリキタニは、9・11をあくまで収容所の反復として捉えているようにみえる。つまりその時彼は、9・11のニュースによって過去を呼び出し、その呼び覚まされた過去のなかを生きているかのようだ。しかし、リンダとの関係が築き上げられ、リンダによる働きかけもあって、彼は自身を取り巻く現代にも、少しずつ関心を抱くようになる。自分と同じ姓をもつ詩人へ関心をもつようになり、そして福祉施設で絵を教えるようになり、とうとう生活保護も受け入れるようになる。これは、リンダという具体的な他者(友人)への関心によって開かれたものだろう。
まさに9・11以降の現在(そして未来)を生きるしかない監督のリンダにとってのミリキタニへの関心(尊重)は、彼が(それ自体としてまっとうな)アメリカ批判を強く主張する人物だからということによるのではないだろう。リンダは、たまたまちょっと関心をもった人物を、思わぬきっかけで家に住まわせてしまったに過ぎない。しかし、その人物の生きて来た八十年という時間の重みへの尊重によって、そして、彼がそこで否応無く背負わされた記憶の重みへの尊重によって、リンダのミリキタニへの関心(尊重)は成り立っているのだと思われる。だからこそリンダは、彼が、自身の記憶を強迫的に反復するように描きつづける絵を、それ自体として敬意をもって受け入れつつも、それを現在への関心と結びつけることで、別の方向へと繋げようとしているように思われる。
福祉施設で絵を教えることは、彼がもっている「絵を描く」という技術が、自身の過去を反復的に現前させて生き直すという以外のことにも使えるのだということを、彼に教えるかもしれない。以前働いていた時の知り合いを訪ねることは、彼に、収容所や広島以外の「近い過去」の存在を思い出させるかもしれない。現在肉親で唯一生きていると分った彼の姉の(現在の)声を電話越しに聞くことは、過去(記憶)と現在との関係を、彼が内的に整理し、過去と距離をとることを助けるかもしれない。彼が自分の部屋で猫を飼うことは、彼が繰り返し描く、「収容所で少年にせがまれて描いた猫」の絵に、ほんの少し、いま・ここにいる「この猫」が混ざることに繋がるのかもしれない。それらは、孤独のなかで過去を何度も反復させつつ生きていた彼に、それらの過去を充分に尊重しつつも、現在への関心と関係とをもたらすことを可能にするためのものなのだ。
この映画の最後で、ミリキタニはかつて捕われていた収容所の跡地へと出かける。彼はそこで、何度も繰り返し描いたであろうその風景を写生しているのだ(「写生しない」ミリキタニが、唯一ここでのみ写生するのだ)。これは驚くべきことだと思われる。勿論、ミリキタニの内部で起こった変化を、外側から映画で観るだけで知ることなど出来はしないのだが、しかし、現在のツールレイクの風景を写生することは、そこでの記憶を、何度も執拗に描くことによって生き直してきた彼に、大きな変化をもたらすことかがないとは考えにくいだろう。現在のその風景を描き取ることによって、何度も生々しく現前してくる記憶を、記憶が納まるべき位置に納めることが出来たのかどうかは、ミリキタニ本人にしか分らないことなのだが。