●Aさんが自分の持ち物を場所aに隠して立ち去る。それを見ていたBさんが、Aさんの持ち物を場所aから場所bに移動させてしまう。戻ってきたAさんが自分の持ち物を探す時、場所a、場所bのどちらを探すでしょうか…。心の理論の「誤信念課題」というやつ。
Aさんは、Bさんが持ち物を場所bに移動させたことを知らないから、当然場所aを探すだろう。だが、これを理解するようになるのはヒトでも4歳くらいになってからであり、チンパンジーはこれを理解することが出来ない(らしい)という。持ち物が場所bに移動されたことを「わたし」が知っているのだから、当然Aさんも知っているはずだ、ということになる、と。
他者が、その人の限定された視点や知識をもとにして、誤った推論や誤った信念をもつことがある、ということを理解する。他者の推論過程を推論することができる。
だか、これを理解するためには、その前に「こころ」が閉ざされたもので、「わたし」と「あなた」のこころが直接的には繋がっていない(わたしのこころとあなたのこころは混じり合わない)、ということが理解できている必要がある。他者のこころが限定的であるということは、いま、ここで発生しているこのわたしのこころもまた限定的であり、他者のこころが閉ざされているのと同様に、わたしのこころも閉ざされていると知る必要があるだろう。
(わたしは、他者が「わたしが推論するように推論する」と推論できる、という意味でわたしと他者とは鏡像的だが、他者がした「わたしと同様の推論」は、わたしのする「わたしの推論」とは繋がっていないので、それを直接知ることはできない。この「推論」の部分に「クオリア」を代入することも可能。)
おそらく、これを理解できるようになったことで、ヒトは科学というものを創り出すことができた。しかし、それによって孤独になり、死(わたしの死)を恐怖するようになる。世界のなかには無数の「わたし」がいるが、そのなかのたった一つしか「わたし」ではない。