2023/07/08

⚫︎『ザ・ミソジニー』で、母の存在の秘密を宿す「開かずの間」は、後半になってあっさりと開かれ、平坦な陰謀論が展開される場(舞台)となる。そこには、屋敷の外からやってくる陰謀はあるが、もはや部屋の内に隠された秘密はなく、深淵もない。それによって『ザ・ミソジニー』の世界は厚みを失い、書き割り的になる。「ホラー・幽霊=深淵、あるいは亀裂」と、「陰謀論・オカルト=書き割り的世界」がシームレスにつながっているのが高橋洋の世界だ。深淵が書き割りへと転化される時、恐怖は「笑い」に変わる。

しかしそれだけでなく、二人の女性による闘いが終わり、戯曲が完成した後に、再び世界に亀裂が生じ、深淵から「母の秘密」が回帰する。そしてまた、母の霊は屋敷のロビーを走り抜ける。つまり、再び「開かずの間」が現れる。

だがこの時、「開かずの間」は、閉ざされることでその内に深淵を孕む神秘の空間ではもはやなく、開けたり閉めたりできる箱のようなものになっている。箱を開けば、その中には何もないが、閉じれば「内側」が生じ、そこに何かが宿る。その内に深淵を湛える(固有の場と結びついた)「開かずの間」が、手っ取り早く「内側」を作り出してそこに何かを宿らせることのできる簡易ツール(持ち運び可能な箱)のようなものになっている。

「呪い」は残るが、それによって「呪い」が軽減化される。平坦な陰謀論により、深淵を抱える「開かずの間が」一旦開かれたことで、たんなる空を宿す「箱」になる。箱はどこにでも現れるという意味で「呪い」は汎化するが、力は弱くなるだろう。

呪いを宿す箱は、モノというよりトポロジー、あるいは(呪いを宿す)構造であり、それが宿す呪いはある程度は構造化されており、呪物(藁人形や心霊写真)の宿す呪いよりも扱いやすくはなるだろう。

(1)外からやってきた「呪い」が、内と外との反転によって、あたかもトラウマであるかのように「わたしの最深部」に配置され、深淵を宿す「開かずの間」が作られ、「わたし」は呪いに囚われる。(2)しかしその唯一で固有の「開かずの間」は、開いたり閉じたりすることで「呪い」を宿す「箱」という構造にまで抽象化され、「呪い」は消えないものの、ある程度相対化され、比較・検討可能なものになる。

(1)「わたしのもの」ではないものが外からきて「わたし」において受肉することで、オリジナルで固有な「わたしの経験が立ち上がる場(呪い)」が生じる。一方で、(2)「わたしの固有の経験(呪い)」から構造が抽出され、抽象化する(「開かずの間」が「箱」になる)ことで、それを検討したり、他者と共有・協働したりすることが可能な場が開かれる。この、逆の方向を向くどちらもが、二人の人物が(「主」の位置を争って)抗争し、(共通の敵に対して)協働しながら、フィクションを受け取り、フィクションを作り直し、フィクションを演じ、そしてさらに作り直すことを通じて行われる。