シノドスに、井上智洋さんによる記事が出ていた。「機械が人間の知性を超える日をどのように迎えるべきか?――AIとBI」
http://synodos.jp/economy/11503
そのうち経済は、技術進歩によって、資本家が労働者なしで商品をつくり、それを資本家に売るという、資本家たちの間だけで完全に閉じられたものとなるであろう。では、どうすればいいのか、と。
マルクスは、労働者階級が資本家階級に勝利することにより、資本主義が終焉すると未来を展望したが、それとは逆のことが起きる。労働者階級は賃金が得られなくなることにより消滅し、資本家階級が全てを手にする。資本家は、労働力を使用せずに商品を作り出し販売する。商品を買うのもまた資本家である。労働者は所得がないので商品を買うことができない。全ての労働者は労働から解放され、もはや搾取されることもなくなるが、それと同時に飢えて死ぬしかなくなる。何の社会保障制度もなければ、そうならざるを得ない。優れた社会保障制度を準備する必要がある。》
それがBI(ベーシックインカム)だ、と。
●ただ、このテキストだと、「2階建てBI」の一方、貨幣発行益による変動BIの説明(ここがすごく重要なところだと思うのだけど)がちょっと足りなくて分かりにくいかもしれない。この前にお会いした時に井上さんは、大学の冬休み中にがんばって原稿を書き上げたいと言っていたので、近いうちに本が出ると期待しています。その点については本に詳しく書かれると思います。
●身近な例。たとえば、工場でロボットを労働者として使うと、一台で人間三人分の仕事をして(三交代のシフトを必要とせず24時間働く、ということ)、しかも月給に換算すると一万七千円くらいのコストで働くから、少子化による労働力不足が解消されるだけでなく、労働者に支払う平均月額賃金が世界最安となって、日本の製造業の国際競争力が増すので、ロボットによって日本経済の再生が可能になる、というようなことをソフトバンク孫正義が言っている。
http://logmi.jp/17272
つまり製造業にはほとんど人間はいらなくなるということになる。
このような流れに対して、人間の労働力は付加価値型の労働へ移行すればよいという話がある。しかし、いわゆる「創造的な仕事」に、そんなにたくさんの人が必要なのか。
たとえばデザインというものを考えると、最初にコンセプトがたてられて、それに合わせて考えられる限りの多様なパターンのデザインがつくられ、そのなかから一つのデザインが最終的に決まる、というプロセスがあるだろう。ここでデザイナーの仕事は主に、二つ目の「コンセプトに沿った様々なパターンのデザインを実際につくる」というところにあるだろう。しかし、あるコンセプトが明確に与えられて、それに沿って、あり得る様々なパターンを創り出すという仕事は、コンピュータにとってこそ最適な仕事だろう。現在ではまだ、デザインでそれは難しいとしても、強力なソフトが一つできれば現状はがらっとかわる。ならば、人間が必要なのは、最初の、コンセプトを決めるところと、最後の、一つのデザインに決定するところだけで、つまり、小数の「偉い人」だけがいればいいことになる。コンピュータをオペレーションする人も必要かもしれないけど、それも少人数でいいだろう。
あるいは、コンセプトの決定も最終案の決定も、どちらもビッグデータのようなものにお伺いを立てるということになるかもしれなくて(例えばABテストとかを使って)、そうなると「創造的な労働」にも人間はほぼいらなくなる。
●ショッキングなのは、まず真っ先にやられるのが、「専門的知識を必要とする事務作業」のような仕事だというところにもある(弁護士とか公認会計士とか)。このような仕事は従来、知的で、比較的高い収入が得られる仕事とされ、社会的にもけっこう高い地位にあるとされるものだが、そういう人たちの多くが職を失う。工場にロボットを導入するのはそれなりにお金がかかるから、それはある程度ゆるやかに進むかもしれないけど、このような仕事をコンピュータに代行させるのには、ただソフトをインストールすればよいだけだから。
(弁護士について、裁判や交渉などには「人」の弁護士が必要だとしても、そのために、膨大な資料や判例などを調べて適切にまとめるような仕事は、コンピュータ一台で五百人分くらい働くと聞いた。)
●とても重要なのは、情報技術の進歩によって情報は限りなく無料に近づき、開かれたものになるが、モノや資源や土地は有限なので無料にはならない、ということだ。コンピュータをつくるのにもレアメタルが必要だし、ロボットをつくるのにも材料が必要だし、工場をつくるのにも土地が必要だし、工場を稼働するのにも電気が必要だ。よって商品は無料にならない。だから、モノ、資源、土地を、あるいは金を、「あらかじめ(既に)」持っている者の勝ちとなる。カーツワイルは、ナノテクノロジーの進歩によって、そのような情報とモノとの非対称性は崩れると考えていた(分子アセンブラー技術などによって)。しかし、井上さんのテキストによると、どうもそこにあまり期待をかけることはできないようだ。なので、持つ者と持たざる者との格差は広がりつづける。
(逆に言えば、技術的なブレイクスルーがあって、分子アセンブラーの技術がもし可能になれば、モノや資源の「希少価値」というものが基本的になくなる可能性があるのだから、いろいろ変わるかもしれない。)