●読書ノート。岡本源太「芸術作品、プロトタイプ、理論的対象」(「であ、しゅとぅるむ」カタログ所収)。
「作品は何を言っているのか」でも「作品は何を行っているのか」でもなく、「作品は何を考えているのか」について。「理論的対象」としての芸術作品


1.


○現代芸術の「脱物質化」(ルーシー・リパード)
ネットワークの一結節点としての作品
1960年代(プロセス・コンセプトの重視)(プロジェクトやインストラクションの設定)(イヴェントやハプニングの実効)
→もはや当然
→「タブロー」ですら、その地で生じたコミュニケーションと切り離すのは難しい
◇「芸術作品」(自己完結した一つの世界→コミュニケーション空間を循環する一つの要素、へ)
「開かれた作品」(ウンベルト・エーコ)「関係性の美学」(ニコラ・ブリオー)


制作だけでなく批評・研究も
○60年代以降
批評→フレンチセオリーの流入・「形式的な新しさ(フォーマリズム)」から「主体の欲望」や「芸術の制度」へ
美術史学→「様式論と図像学の折衷的手法」から「記号論や受容美学」「社会史や文化研究」「人類学や認知科学」(ニューアートヒストリー)
→「芸術」は、「一個人の作品」ではなく「人間たちのコミュニケーション空間そのもの」の名称に


脱物質化→「マテリアル・メディウムの変化」であるより、「コンスタティブからパフォーマティブへの変化」
→作品が「何をいっているか(意味・内容)」ではなく、「何を行っているか(機能や効果)」が問題
(「何が芸術か」ではなく「いつ芸術なのか」---ネルソン・グッドマン)
◇タブローやオブジェが現実社会に「いかに組み込まれているか」(コミュニケーション空間の可視化)→脱物質化=現実化・社会化


2.


○情報技術の革新→「同時性」「遍在性」
○現代芸術の定石=インスタレーション→「コミュニティでの滞在制作」「地方レベルの芸術産業との連携」「その時、その場での経験」
→グローバルな拡張(遍在)とローカルな限定(偏在)という対照
→しかし、いずれにしろ(範囲が広いにしろ狭いにしろ)「いま・ここ・直接性」「パフォーマティブな局面」の全面化である
◇この時、「すれ違いや勘違い」「早すぎたり、遅すぎたりすること」「思いがけない中断、予期せぬ再開」は失敗とみなされる
→しかし、こうした「失敗」が、「いま・ここ・直接的」なコミュニケーションを、別の時間(ネットワーク)へと《跨ぎ越してゆく》継起と考えられないか


→エリー・デューリング「プロトタイプ(試作品・叩き台)」
失敗しようと成功しようと、作るたびに改良と創造の余地を広げてゆく
「アイデア・コンセプト」(→実現されたら終わり)「試作品」(→別様につくり直せる)
◇プロセス・パフォーマンス・関係性の成立、は、可能性の実現=消尽と考えられがち(パフォーマティブに発動し、消滅する)
→「プロトタイプ」→制作プロセスの「一時停止」であり「完了」ではない(失敗しても、成功しても「再開」され得る)
◆グローバルもローカルも気にせず、遅れたり先走ったりできる
→「いま・ここのネットワークの綻びや解れと失敗」を、「新しいネットワークの結節点」へとかえることも可能


3.


「1980年代」
歴史学一般における「コンスタティブ」から「パフォーマティブ」への視点移動期(ピエール・ノラ『記憶の場』プロジェクトなど)
→同時期にひっそりと「アナクロニズム」を語り始めた者たち
アナクロニズム---芸術作品はときとして、制作された時代からかけはなれた印象を与え、時代錯誤的な連想を誘発する
→ダニエル・アラス---べラスケス『ラス・メニーナス』(17世紀)からカント『純粋理性批判』(18世紀)を想起
→ジョルジュ・ディディ・ユベルマン---フラ・アンジェリコ『影の聖母』(15世紀)からポロックのドリッピング(20世紀)を想起
◇たんなる誤謬→しかしなぜそんな連想が起きるのか
→時代錯誤を誘発するものは、「作品そのもの」に描きこまれた特徴であった


アラス、ユベルマン、ルイ・マラン、ユベール・ダミッシュ
→芸術の「アナクロニズム」を問い始める
→「芸術」を「理論的対象」として理解する
○芸術作品は、「それ自体」として、理論を「内包」し、「提示」し、(時代を跨ぎ越えて)、「別の作品」を、あるいは「思想」や「観念」を、理解可能にする→芸術作品の理論的な力のあらわれ


◇芸術のパフォーマティブなレベルへの着目
→「観客への効果」「出来事を引き起こす効力」は、「人間たちのコミュニケーション空間(観客や出来事というコンテクスト)」の内部でしか測ることができない
→「開かれた作品」は、「いま・ここでの体験」という場に閉ざされている、「関係性の美学」は、その時その場でしか関係性を結ばない
○作品=コミュニケーション空間
→「その空間を越える力」をなくす(「時代」の内に溶け去る)


リレーショナル・アートとアーカイヴァル・アートの鏡像性
○リレーショナル・アート---「いま・ここ」に現前している人間たちのネットワークを織りなす
○アーカイヴァル・アート---「かつて・そこに」存在した人間たちのネットワークを紡ぎ出す
◇「過去・現在」、「痕跡・現前」において対極であるようで、《ある時点の状況・時代の内部に閉ざされている》点で共通している。


◆「理論的対象」としての芸術作品
→時代錯誤的なネットワークを織りなす
◇経験と思考がどれほど「狭く限られたもの」であるか
→しかし、それが「どれほど広がる余地をのこしているか」


○作品は何を語っているのか(内容・意味)とも、作品は何をしているのか(機能・効果)ともちがう水準にある、作品は何を考えているのか(経験・思考)について考える