●『ユリ熊嵐』、第五話。今回は、作画がちょっと弱かった気がする。この作品は、動きで見せるようなものではなく、動きが少ない分、止め絵のレイアウト、様々なレベルでのイメージのモンタージュ、カット割りのリズムやタイミング、反復とずらし、音響などで見せる感じなので、形が少しでも決まっていない感じだとけっこう気になってしまう。
●前回が「るるの過去」で今回が「銀子の内面」という風に、分かり易くキャラクターが掘り下げられてゆく。そして、これまでクールだった銀子の内面(欲望)が表に出る=弱みをみせる、ことにより、それが(ストーリー的な因果関係としてではなく、表現的な連なりとして)敵側の逆襲を許すような、「つけ入る隙」につながる。
前回、るるの過去が例え話風に表現されたのは、るるが過去に囚われているのと同様に、銀子も、そして紅羽も、それぞれの過去に囚われている、ということを示すためでもあろう。つまりそれは、共有される神話でもある。だから、るるにとって銀子が特別な存在であるのと同様に、銀子にとって紅羽が特別な存在であり、るるが決して誉められたものではない排他的欲望(と、罪)をもつのと同様、銀子もまた誉められたものとは言えない排他的欲望(と罪)をもつ、ということが暗示される。そして、ならばおそらく紅羽も……、となる。るるの、過去、欲望、罪は、おそらく今後あらわにされてくると思われる、銀子と紅羽の、過去、欲望、罪へと展開してゆく、最初モチーフの提示であり、そのモチーフは今後みられる様々な展開と深化への最初の布石となるのだろう。
(そして今回、銀子の下世話な欲望、そしてエゴ――独占欲――が、分かり易い形で示された。この作品はおそらく、観客がキャラクターに対して心地よい幻想をもつことを許さない。)
紅羽、銀子、るるは、皆、過去、欲望、罪をもち、それに囚われているが、しかし、それによって「透明になる」ことを逃れている。しかし、透明にならないことはそれ自体が試練であり、それこそが罪に対する罰なのかもしれない。そして、その「透明にならない」あり様は、彼女たちをどこへ導くのか。罪こそが、キャラクターたちを別の次元へと導くというのが、幾原作品の特徴であるように思われる。
るると銀子の関係が、過去のるると弟との関係との、形を変えた反復であることと同様、紅羽と純花との関係は、おそらく紅羽と銀子との関係の、形を変えた反復であるのだろう。そしてそのような関係は、きっと紅羽の母とユリーカとの関係とも響き合う。
ある関係は、別の関係の代替的反復であるが、同時に、それは前にあった関係とは別の関係でもある。るると銀子の関係は、るるが、自分と銀子との関係のなかに弟との関係を投影したからこそ結ばれたものであり、その意味では反復であるが、しかしそこでは、前にあった関係とは別のもの(決して取り返せないものの、別の形でのやり直し)が目指されている。ならばそれは反復というより媒介と言うべきかもしれない。るると弟との関係が、るると銀子とが関係することを媒介した、と。あらゆる関係が、別の関係によって媒介されており、同時に、また新たな関係への媒介にもなる。
(最初から大嫌いで、最初から大好きだった、という繰り返されるナレーションは、「最初」の段階では「大嫌い」か「大好き」か決定できず、それは反復された二度目の代替的な関係によって遡行的に読み直されるということであり、しかし、最初の段階の、大嫌いかつ大好きという確定されない、あるいは、掴み損なった関係――過去・罪――がなければ、その読み直しとしての二度目の関係が呼び込まれない、ということでもあるのではないか。)
ならば、「関係と関係との関係」が問題となる。「紅羽と銀子の関係」と「紅羽と純花との関係」の関係は?、さらに、かつての「紅羽と銀子の関係」と、今後あらわれてくるのであろう二度目の「紅羽と銀子の関係」との関係は?、という風に。あるいは、「関係と関係の関係における、別の関係の影響」という問題もある。『かつての「紅羽と銀子の関係」と二度目の「紅羽と銀子の関係」の関係』における、「紅羽と純花の関係」の影響は?、という風に。
(五話まで進んで、世界の設定や人物たちの関係が徐々に明らかになりつつあるなかで、一番最初に示され、しかもしつこいくらい回想として反復されるのに、「純花の位置」がいっこうに明らかにされないことで、最初に物語の現在から消えてしまった純花こそが、最もミステリアスで、かつメタ的な存在になりつつある。)
●ふと思ったのだが、「ウテナ」の物語の最初にあるが「王子様とのキス」であり、そこからすべてが動き出すのに対し、「ユリ熊」は、そこに向かって動いてゆく、逆向きの物語なのかもしれない。