●昨日の日記の「作品の階層構造」の図は、下のように書いた方がよかったかもしれないと思った。抽象機械をつくる(が産まれる)ことで、「作品」という、表層と深層とを貫く力(働き)が生まれる。あるいは、作品(貫く働き)の成立によって事後的に「抽象機械」が見出される、というイメージ。
(ピンクで書かれているところが意味しているのは、個別の--顕在的な範囲での--作品は「意味(図)」と「形式(地)」という二層のカップリングによって成立しており、個別のメディアは「形式(図)」と「構造(地)」の二層のカップリングで成立しており、例えばある固有の作家性--作品ジェネレータとしての--というようなものは、「構造(図)」と「演算過程(地)」の二層のカップリングでできている、ということ。ここで、作品を社会の反映としてみるならば、作品ジェネレータの位置に社会性がくる。あるいは、作品が「素材との対話」であるとすれば、ジェネレータの位置は作家性と素材性とに分け持たれる。このレベルはそもそも複合的で、作家が演算し、社会が演算し、素材が演算し、要するに世界の様々なものが演算し、それらがどういう配合や関係性で構造化されるかに依っている。
世界の様々なものたちの震え(リズム)が、一つの小さな装置となり、それぞれの演算を開始する。その小さな演算たちが複数あつまって構造化が起こる。その時にジェネレータ機械の作動が確認される。二層のカップリングが起きる時に機械が作動し、機械の作動によってカップリングが強化される。例えば、ある作家性=思考の形=身振り、のようなものが生まれる。
そしてそこで構造化されたものたちの働きが、もう一段階抽象化して形式化するという時に、メディア機械の作動が認められる。構造が形式という上位階層をもつことによってある程度の恒常性をもつようになり、それがメディアとなる。例えば、ある作家性=身振りが、筆という道具として定着する。あるいは、ある身振り=指向性を共有する関係が、一つの製作会社(あるいはジャンル)となる、など。
構造と形式のカップリングとしてのメディアは、表層の流れのなかから一つの領域を把捉し、それを受け入れる器を準備する。そして、メディアの上位階層である形式が、表層の固有の領域との結びつきを得ることで、その領域が意味となり、形式は意味を受け入れることになる。固有の領域=意味によって形式が固有化し、固有の形式=固有の意味となったとき、それは「一つの作品」となる。
だから、「意味」「形式」「構造」「演算過程」というプロセス的な階層分けと、「顕在的作品」「メディア」「ジェネレータ」という機械的な階層分けとは、半階分ずれている。)
●上の図をもう少し詳しくすると、下のようにも書ける。