●お知らせ。明日、12月18日付けの東京新聞夕刊に、ICCでやっているジョン・ウッド&ポール・ハリソン「説明しにくいこともある」についてのレビューが掲載されます。
●qpさんの下の写真、かなりすごいのではないか。
http://d.hatena.ne.jp/com/20151217
このような画像を観る時、空間と時間とは対称的なものになっている。複数のレイヤーの重なりを、空間として見ることも、時間として見ることもできる。複数のレイヤーの重なり(というより「衝突」)を、一瞬にして経験する時、それは空間として立ち上がり、その衝突を、事故の実況見分のように、検証するようにして眼が経巡る時、それは時間の推移のなかでの変化として現れる。ここで「一瞬」とは時間ゼロではなく、一瞬のなかに複数のレイヤーが畳み込まれている。この「一瞬」(への畳み込み)が現れるためにはレイヤー間に「衝突」という事故が発生しなければならない。幅のある時間としての多層(多)が、「一瞬」の「一」へと潰れる時に、衝突としての空間が立ち上がる。
その時、レイヤーがたんに重なっているだけでは駄目で、複数のレイヤーがそれぞれを喰い合うにして、争い合い、互いに相手に食い込み合っている必要がある。手前の層から奥の層へと順番に行儀よく階層化されているのではなく、あらゆる層が同等であり、前に出る権利を争ったり、積極的に後ろへ下がろうとしたりしているし、それだけではなく、別の層へと食い込もうとしたりしている。
写真は三次元空間を撮ったものだが(故に、三次元的に読解=デコードすることも可能だが)、平面化した画像において「奥行き」は三次元的に安定したものではなくなる。三次元的に奥の層にあるからといって、二次元画像において後ろへ下がっているとは限らない。あらゆる層が前に出てこようとし、あらゆる層が後ろへ下がろうとしている。
このようなレイヤー間のせめぎ合いを、「抗争」の過程やレイヤー同士の「関係の分析」として見る時に「時間」が立ち上がり、「衝突」として見る時に「空間」が立ち上がる。だから、この「時間」は一方向に進むのではなく空間のように行き来できるものだし、衝突としての「空間」には、既に時間が畳み込まれている。三次元空間が、撮影されて二次元画像へと変換されることによって、衝突という出来事が起こり、超三次元的な(時間と空間の対称性が成立した)空間が立ち上がる。
さらに言えば、画像は、複数のレイヤーに分割できるが、分割されたそれぞれのレイヤー内にも、フレーム全体と同様に、複数のレイヤーがあり、時間と空間との対称状態(衝突)が成り立っているように見える。