2020-04-16

●『映像研には手を出すな!』は、放送では三話から観はじめたので、一話と二話(そして録画し損ねた九話)は観逃している。U-NEXTで配信がはじまったので、とりあえず一話を観た。いい一話だった。これを観たら多くの人がつづきを楽しみにするだろう。

ここでも、アニメの開幕の黄金パターンである「悪漢に追われるお姫様を少年(少年じゃないけど)が助ける」が踏襲されている。それも、不自然なくらい高低差が強調された場所で、お約束通りのドタバタするアクションが展開される。水崎氏(お姫様)は、まずアニメの上映会場に現れ、少年じゃない少年(浅草氏)と一瞬すれ違って、追手から逃れるためにその場を後にする。そして次の場面では水崎氏が舞台の上で追手に追い込まれている。つまり、追手によってアニメーターの場から俳優の場へ誘導され、俳優の場に留まることを強いられている。そこに浅草氏と金森氏があらわれて、水崎氏を「強いられた俳優の場」から救い出す。ここで皮肉なのは、俳優の場であるはずの舞台上が、高低差や様々な仕掛けによって、アニメ的なアクションを展開するのにうってつけの場になっているということだ。ここで浅草氏は(そのキャラに似合わず)まるでコナンみたいに水崎氏を肩に担ぎ上げて走り出す。

だが、このボーイ・ミーツ・ガール(ボーイじゃないけど)の成立には、第三者としての金森氏の存在が不可欠だ。もし金森氏によって背中を押されなかったら、水崎氏と浅草氏とは、すれ違っただけで「出会う」というところにまで発展しなかっただろう。コナンとは異なって内向的な浅草氏は、自分一人の力ではお姫様と出会うことができない。つまりこのボーイ・ミーツ・ガールは純粋なものではなく、第三者の思惑(打算)によって媒介されることではじめて成立する。金森氏は、浅草氏と水崎氏との間に共通する何かをめざとく感じ取り、そして、この二人が仲良くなることで得られる自分の利得を計算して、二人の関係が成立するように画策する媒介者である。無媒介の二人の出会いではなく、媒介者を含んだ(利害の対立する三角関係ではなく)三項関係としてはじめて成立するボーイ・ミーツ・ガール。このような設定が、この物語の新鮮さだろう。

●アニメには、背景(世界)とそこに置かれる(キャラクターも含めた)オブジェクトという、最低でも二つの層が必要だろう。浅草氏と水崎氏との出会いは、(共感関係やライバル関係というより)二つの異なるレイヤーの重なり相乗効果としてある。二つのレイヤー(浅草氏のスケッチブックと水崎氏のスケッチブック)が重なることではじめて、第三の次元が生まれる。勿論、この二つのレイヤーが重なるためには、金森氏の(打算からくる)強引な媒介が必要だ。

アニメ内アニメとしてあらわれる飛行シーンは、二つのレイヤーが重なった先にはじめて見えてくる第三の次元にあるもので、浅草氏や水崎氏が単独で見ていた夢ではない。二人の出会い(重なり)によって生まれる新しい夢だ。

●アニメ内アニメとしてある飛行を伴う追いかけっこに先行するものとして、前半の、水崎氏を救い出すための追いかけっこの場面がある。つまり、飛行を伴う追いかけっこは、前半のアニメ内現実での---より重力に強く拘束された---追いかけっこの、発展的な反復であるとも言える(「飛行」によって、より拡張された「高低差」を利用したアクションが可能になるという意味で)。つまり、アニメ内アニメはまったくの絵空事ではなく、アニメ内現実において一回演じられたドタバタの再現であるとも言える。そしてそれはどちらも、先行するアニメ(コナン)の反復でもある。つまりここには、いくつもの異なる次元が組み込まれているが、それらが「典型的なアニメ的アクション」という共通する要素によって貫かれることで、互いが互いを包み合うように関係になっている。