●昨日につづいて、『知覚の宙吊り』(ジョナサン・クレーリー)から引用、メモ。「19世紀末に居たセザンヌ」。セザンヌを、絵画の歴史のなかに置いて、近代絵画の画家だとすると、どうしても収まりが悪いし、なぜこんな人がいきなり出て来たのか分からない。でも、このような配置としてみれば、ある程度は納得できる。
≪一九世紀後半の知覚モデルは、主観的な視覚という前提をさらに展開させ、知覚における記憶、興味、欲望の重要性をより精巧に説明するものとなっていた。ここにおいてへルムホルツは、知覚体系を組織化する際の典型例となっているが、その知覚体系は、ほとんどすべての知覚において記憶が構成的な役割を担うことを論証しようとする点で、もはや厳密には光学ではない(この知覚体系はまた、まったく異なった仕方ではあるが、フロイトによるエネルギー交換の「経済論的」モデルにとっても重要である)。だが、一八九〇年代半ば、ベルクソンフロイトとともに、主観的な知覚経験がもつ反光学的な機能は、非指向的、非中心的、複時制的な出来事として受け入れられ、独創的な形で考察された。知覚はもはや、厳密に位置づけられた主体と、外部の事物との解明とからなる、主体-客体関係を意味するものではない。これにともない問題となってくるのが、主体に内在するいくつかの力の変動関係である。ベルクソンフロイトとが試みたこととは、それぞれまったく異なったやり方ではあるが、現在の知覚と、身体、記憶のあいだで起こる相互作用の入り組んだネットワークを練り上げることであった。≫
≪この時点で、フロイトベルクソンの両者が暴きだすのは、知覚がいかにして多数の源泉と場から得た素材をもとに構成されているのかということである。「草稿」においてフロイトが考える、通路という精神のトポグラフィーが描き出しているのは、興奮を誘発する素材が意識へと流れこむ、異なる複数の方向性や、視覚的な知覚がこの精神体系のうちで経験する、ひじょうに異なったプロセスと道すじの輪郭である。≫
≪複数性をもつ《松と岩》の構造、つまりその著しい「寄せ集め状態」は、フロイトの「草稿」におけるきわめて重要な仮説のひとつにかかわるものである。ジャック・デリダが強調するように、フロイトは、一八九五年にはすでに精神のパラドクシカルな作用を定義して、「無限定の保存能力と、無制限の受容能力」としていた。つまり、フロイトが概念化しようとしたのは、いかにしてわれわれは、記憶の貯蔵という手段と、すでに以前に、あるいはたったいま貯蔵されたばかりの「痕跡」の残余にとらわれない新たなイメージを受け取る能力とを、同時にもちうるかという点である。ここで興味深いのは、フロイトが構想した解決策であり、デリダはこの解決策を「差異化された単一の装置に含まれる二重のシステム、つまり永遠に利用可能な無垢性と、無限の痕跡の貯蔵」と描写している。≫
セザンヌはある時点で、芸術家の「存在」を感度の高い受け皿〔=感光板〕として特定している。ここで推測されるのは作用の自動的な様態であり、それは人間‐機械という露骨な二分状態を超えるものである。セザンヌという人物を考察する際に必要なのは、みずからを「二重体系」、歴史的、個人的痕跡の貯蔵庫にしてかつ、触知できないほどの機能性をもった空白の機械装置になぞらえているこの画家を想像してみることである。「長期にわたる仕事、熟考、探求、苦しみ、喜び……古の巨匠たちによって利用された方法についてのたえまない熟考」はすべて、みずからが「記録装置」になるべく用意されたものであったと、ひと息にいってのけられるような人物として、セザンヌを考えることが必要なのである。セザンヌの人生のこの時点で蓄積されてきた経験のすべては、徹底的な脱個人化への基礎となる。それによって彼は、カオスの想像力、永遠に回帰してくる地殻変動の想像力が、物質のなかに刻印され、自分自身のプロヴァンスの空と岩のなかに刻印されるのを直感することができた。セザンヌが想像上、みずからを「自動的に翻訳する」ことができる「機械」として思い描いていたことには、ひとつの主張が含まれている。つまり彼は、確立された状態にある人間の知覚から解放されることを、また図/地、中心/周辺あるいは近/遠という関係の外で、容赦なく世界を感知できる装置になることを追求したのである。≫
≪もちろん、セザンヌと映画とのあいだに明証可能なつながりがあるわけではないが、両者が歴史的に隣接しているという事実は、たとえばセザンヌキュビズムとの関係などよりは、はるかに重要な問題を提示しているのである。セザンヌの後期作品は、その特異性や、制作過程における社会からの一見した孤立にもかかわらず、観察者の近代化が生じる一九世紀末に場を占めるもののひとつなのである。セザンヌは、もっとも没入した注意形態に固有の熔解を暴いただけでなく、一九〇〇年頃に多様な領域で起こっていた、同種の知覚の力動化をも先触れしていた。そこには新たな視覚技術の導入も含まれていた。彼が力強く記述したものとは、観想的な距離や知覚の自律性の論理ではなく、絶えず変化しつづける外部環境に接続する神経系の説明だったのである。初期映画と同時代にある、一八九〇年代のセザンヌの作品では、かつて「イメージ」を構成していたものが徹底的に不安定になっている。彼の作品は、現実を感覚刺激の力動的な集合として概念化するという、同時代における数多くの試みのひとつとなっている。セザンヌにとっても、勃興するスペクタクル産業にとっても、安定した厳密な知覚モデルはもはや、効果的なものでも役に立つものでもなかった。≫