●一昨日からのつづき。引用、メモ。『世界は時間でできている』(平井靖史)、第六章「創造する知性---経糸の時間と横糸の時間」より。想起に関して。
●想起・エピソード想起(6) ステップ(三)「イメージの現実化」/凡庸化(想起の素材はタイプ的イメージである)(体験を一回的たらしめているのは必ずしもその「内容」ではない)
《(…)想起の最終段階で、記憶が姿を現してくる場面である。絞り込めるところまで絞り込んだところで、待ち受けていると、ある場面は突然に、別な場面は徐々に、記憶がイメージとして像を結ぶ。》
《(…)このステップは、選択された記憶の面全体(特定の仕方で方向づけられた)が現在平面に向かって垂直方向に「並進」することと説明される。(…)そして、この過程で、個人的なディテールを備えた記憶は「凝縮」し、「凡庸化」していくとされる。》
《(…)「並進」「前進」、そして記憶全体の「凝縮」まではいい。作業のためにいったん弛緩させた記憶の領野を、想起が終わったらまた閉じ直す必要があるからである。》
《解釈者を悩ませてきたのは、「エピソード想起」の最終局面に、どうして「凡庸化」が入ってくるのかという点である。(…)エピソード記憶が現実化したいのは、トークン的な個別体験である。せっかく(一)と(二)のプロセスで目的のトークン的出来事(に近いもの)を割出しても、最終段階でこの「凡庸化」がはいってしまえば水の泡ではないか(…)。》
《(…)想定される誤った解釈を避けておこう。この現実化のプロセスのことを、「記憶が次第に知覚化・イメージへと変化すること」と解釈することは厳密には誤りである。》
《(…)「知覚と記憶の間には程度の差異ではなく本性の差異がある」(…)「純粋記憶」は、知覚的・感覚的精彩を帯びた「想起イメージ」に「なり」などしない。純粋記憶は(…)、それ自体がイメージへと「変身」するようなものではないのだ。》
《(…)そこで代わりに持ち出すのが、「示唆/被示唆」関係である。「ある感覚の記憶とは、その感覚を示唆することができるものである。(…)」(…)。ベルクソンは、この「示唆原因(…)」というモデルを採用し、変身説を退ける。》
《(…)純粋記憶は、私たちが最終的に手にする想起イメージに対して、何らかの意味で原因として関与している。変身と示唆の違いは、それがどのような種類の原因であるかという点にある。》
《(…)「示唆原因」を用いた立場においては、純粋記憶はあくまで「調理」の際の参照元でしかなく、「素材」にならない。つまり、記憶の現実化とは、純粋記憶を参照しつつ、手持ちのイメージ素材から想起イメージを「構成する」ことを指す。ベルクソンが採用しているこちらを「模倣説」と呼ぶのがいいだろう。》
《(…)トークン的な想起イメージもまた、その「素材」はタイプ的イメージでありうるという点だ。そして「模倣説」とは、タイプ的イメージから試行錯誤的「構成」を試みる以外に、ターゲットとするトークン的記憶に接近する手立てはない、というものである。》
《(…)それ(想起イメージ)を一回的なものたらしめているのは、あくまでもそれがまとっている「時間的色合いとニュアンス」(…)であり、3章で見たように、その正体は背景的な記憶の全体である。だから、体験を一回的たらしめているのは、必ずしもその体験の「内容」ではないのだ。》
《(…)それ(純粋記憶)は具体的な像ではなく、それは「どんな」体験だったかという印象・雰囲気しか示さない。だからもし、純粋記憶から想起イメージを復元しようとするなら(…)イメージの素材が要る。これを提供できるのは、運動回路による非プロセスのタイプ的イメージしかない。》
《記憶がただ「こんな感じだった」と示唆するものを、イメージ側は模倣し実演する。》
《重要なことは、想起を通じて、凝縮と運動、体験質とイメージのどちらかが一方的に主導権を握るという関係にない、という点である。そうした「折り合い」を通じたすり合わせ・落としどころの模索が、記憶の時間的内部(…)のおかげで成り立つのである。》
《ちょうど「持続」の時間的内部がそうであったように、「記憶」の時間的内部においても、垂直的相互作用(その内実は示唆と模倣の繊細なすり合わせだ)が想起という営みを可能にしている。》
《(…)ベルクソンは、「自ら含む以上のものを自分から引き出す力」(…)として精神を定義する(…)。》
●注意的再認と想起
《これほど違う二つの仕組み(注意的再認・想起)だが、両者が決して断絶しものでないことを、ベルクソンは見抜いている。想起に意味記憶(タイプ的イメージ)は不可欠であるし、意味記憶の探索に想起が役立つことも多々ある(…)。そして当の意味記憶自体が、エピソード記憶の重合でできているのだ。》
●探索的認知(再認と想起は食い込み合う)
《「注意」とは何か。ベルクソンがその名で呼んでいる現象は、(…)〈観察を通じて、対象のディテールが増え、対象の置かれている文脈が多様化すること〉である。そこで本書では、これを「探索的認知」と呼びかえる。》
《(…)ベルクソンはこのことを、注意的再認の発展編として論じている。そこでは記憶と運動のフィードバックループが肝となる。「注意的再認」は、二重に拡張可能な余地を持つものであった(4章)。第一に、対象の特徴検出(運動図式)の解像度を上げる余地があり、第二に、それに応じて投射するイメージ記憶の情報量を上げる余地がある。投射によって新たな特徴検出の発見が可能になるから、この探索的認知の「回路(…)」は自己触媒的に回る。》
《ベルクソンが『物質と記憶』(…)に描いている図に即して説明しよう。》
(上の図は『世界は時間でできている』よりスキャンしました。)
《(Oは対象そのものとされる)B、C、Dが投射されるイメージであることについては、解釈上の揺れはない。解釈に余地が残るのは、それ以外の記号の指示対象である。私の解釈では、Aが示すのはクオリアマップ(再認に先立つ感覚質の配置のこと。4章)であり、B`、C`、D`が表すのは運動図式が模倣する対象側の特徴量である。Aに対応するA`がないのは、Aが運動図式発動「以前」であるのと整合的である。》
《(…)注意的再認が発動すると、まず運動図式が、対象のB`に相当する特徴を運動的に模倣する。その結果、膨張した記憶のなかから一部の関連する記憶群が前景化される。それがBである。(…)普通は、これで注意的再認はおしまいだ。》
《だが、私たちはときに立ち止まる。漠とした予感かもしれない。ちょっとした気まぐれかもしれない。自動的に繰り出された運動図式とはまた別の角度から、別の線で、対象を描き直してみる。脳内運動が変われば、記憶の回転も変わる。しかしいつもは拾わない運動的輪郭だ。イメージは普段より膨張したところからその素材を探し直さなければならないだろう。こうして出てくるのがCだ。》
《興味深いのは、こうやってより大きな円環を注意が描くとき、そこで取り出されるイメージが、「あるときは知覚対象そのものの細部であるが、あるときは知覚対象をより明晰にしてくれる周囲の随伴物のほうの細部である」(…)と言われている点だ。もはや対象Oではなく、別な対象Pのディテールを思い浮かべるとなると、再認と想起の線引きは微妙になってくる。このようにして再認と想起は、互いのプロセスに食い込み合っている。》
●「それ」が私のなかに何か探すべきものがあることを教えてくれる
《(『試論』からの引用)わたしはバラの匂いを嗅ぐ。すると、たちまち幼児期の漠然とした思い出(…)が記憶に立ち戻ってくる。しかし、実を言うと、これらの思い出はバラの花によって喚起されたのでは決してない。私は匂いそのもののうちにこれらの思い出を嗅ぐのである。》
《「匂いのうちに思い出を嗅ぐ」という表現は、理論を知らない人の目には、何か詩的なレトリックを弄しているように見えるかもしれないが、そうではない。「匂い」は知覚であり、「嗅ぐ」は知覚動詞である。つまり、これは記憶が知覚に入り込む場面(注意的再認)の話をしているのである。》
《後で思い出されることになる「幼児期」のエピソード記憶が、初めのバラの匂いの知覚のうちに、タイプ的イメージという形で先回りして忍び込んでいる。つまり、この引用には、再認と想起という形で、同じ記憶が二度登場しており、想起を導いたのが、実は再認に忍び込んだ当の個人的記憶自身である次第が語られているのである。》
《(…)おやと立ち止まり、「注意」するなどということを始めたのは、もうすでにその記憶を、知覚のなかに察知していたから、それの潜伏的介入・示唆を受けていたからではないか(ナンダッケコレ感)。》
《(…)目の前にある「それ」が、私のなかに何か探すべきものがあることを教えてくれる。ではその「それ」とは何か。知覚のなかには、重ね合わされたかたちで大量の記憶が入り込んでいる。その数だけ、私たちには探索的想起への通路が開いていることになるだろう---私たちがほとんど常にそれらの扉に気づかないとしても。》
●すべての記憶は既にここにある/記憶と運動の隔たり
《すべての記憶は、常に、もうここにある。それは前景化されたイメージのなかに紛れ込んでいるか、そうでなければ、人格質というバックグラウンド的な質のうちに溶け込んでいる。いずれにせよ、その記憶を取り出すために、どこか特別に場所に探しに出向いていく必要はない。凝縮された記憶を緩め、必要な回転を施し、違う折り目で折り畳む。ダメなら一からやり直す。》
《確かに、記憶と運動のあいだには、乗り越えなければならない様々な隔たりがある。記憶からの介入が潜伏的で間接的なものにとどまるのはそのためだ。そもそも翻訳できないものの翻訳を無理強いしているようなところがある。》