●「フィクションを怖がる」を書いたケンダル・ウォルトンの主著『フィクションとは何か ごっこ遊びと芸術』の翻訳が来月に出る。これはまさに今読みたいと思っていた本なのでとても助かる。名古屋大学出版会はラマール『アニメ・マシーン』の翻訳も出していてすばらしい。
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0837-2.html
●いまさらだけど『知覚の宙吊り』(ジョナサン・クレーリー)、面白い。
セザンヌの後期作品が放つある種の奇妙さは、何人かの批評家たちが指摘してきたように、網膜の周辺の感覚を、目の中心窩の領域と同じ無媒介性と強度において同時にとらえようとする試みによるものと考えられるかもしれない。つまりセザンヌにとって、統一された均質な視野を強烈に探求することが問題ではなかったのだ。われわれのほとんどが日常的にそうしているように、セザンヌは、周辺を抑えこむというよりはむしろ、視野のうちにある分断されたいくつかの領域を、固定した目に一度に感知させようとしていたのである。この取り組みは、ある意味で、たとえば「全体従属的感知と焦点的感知とはたがいに相容れないものである」というマイケル・ポラニーの主張に見られるような、経験的・主観的に不可能であると定義されてきたものを獲得しようとする試みである。逆説的ではあるが、中心と周辺という区分に基づいたシステムは、実質的には、安定した中心点---そのまわりでは、この領域内のまったく異なった内容が、一貫性をもって組織される---の可能性を無効にしてしまうものなのである。このことは、セザンヌの実践を、たえまない「新しい中心における始まり」と呼んだときにリルケが意味しようとしていたものかもしれない。数百年にわたり視野を支配していたさまざまなコードが破棄されたとしても、だからといって生来の「野生の」視覚が露わになったというわけではなく、新たに構築された遠心的な力が、知覚空間の内で自由に戯れることが可能になったのである。それにともない、一八九〇年代中頃から、セザンヌの作品の多くは統合---まったく異質で、一時的にして分散している要素の律動的な共存という意味における---の特性を徹底的に再考しはじめるのである。かくしてセザンヌの作品は、注意の固定という考え方を提示することになる。注意の固定とはつまり、知覚された世界の内容をつなぎあわせる代わりに、たえまなく不安定化の動きのなかへと突入していこうとする主体=主観を定着させるという意味である。マネとスーラにおいて不完全で両義的であった試み、すなわち固定する静止状態を提示しようとする試みは、セザンヌの後期作品における体系のなかでは、もはや不可能なものとなっている。というのも、ここでわれわれは、ある注意力に出会ってしまったからである。その注意力は、能力の限界を超えて維持されるとき、夢想や分裂をつくりだすのではなく、世界との主体的=主観的インターフェイスを、よりいっそう強力に再創造しはじめるのである。セザンヌにとって注意とは、識別可能な同一の世界の現前にすがりつこうとすることではなかった。だからこそ、その限界と過剰は、喪失や欠如を暴いたのではなく、「どの事物、どの存在においても、それ自身の同一性が差異そのもののなかに呑みこまれるのでなければならない」という認識を、またそのような視覚自体が、「変身と置換からなる真の演劇」であるという認識を開示したのである。≫
≪昨今、理論的著作の多くは、固定した(そして通常、単眼の)目という考え方を、再現=表象という古典的システムの構成要素として提示している。この考え方によれば、固定した目は、持続と変化を引き止めることで、現象を概念的に理解するという役割を果たすとされる。だが私はこれから、次のような反対の見解を問題にしよう。すなわち、固定され不動となった目(少なくとも、生理的条件内では安定している)は、世界の見せかけの「自然さ」を無効にし、視覚経験のもつ一時的で流動的な性質を暴きだす一方で、すばやく動きまわる目は、すでに構築された世界の特性を保つものである、と。後者の動きまわる目は、習慣にしたがい親しみをもって事物を愛で、そこからすでに確立した関係のみを抽出するが、ひとたびこの目が動きを止めると、背後に潜んでいた不安定な局面が出現してくる。不動の目は、比較的短時間のうちに、活動を誘発する引き金となり、われわれをトランス状態と知覚分裂の双方へと導いていくのである。≫
セザンヌは、固定した目によって感知されたモザイク状の個別の視界を寄せ集め、それらを統合して単一の表面へと接ぎあわせているのではない。むしろセザンヌは、視覚の固定化と不動化にともなうさまざまな経験を通して世界を再現=表象するためには、習慣的な絵画実践では不適切であるということを悟ったのである。世界は、あらかじめ統合された状態にあるわけではない。ただ、生成=変化の過程として保証されるだけなのである。セザンヌは視覚の生理状態に敏感な反応を示したが、それはここに知覚の「自然的」様態を発見したからではなく、その限界を超え、目を新しい器官へとつくり変える方法を探求していたからなのである。この探求は、身体を否定し、身体から分離した純粋な視覚をつくりあげる取り組みなどではなく、感覚的な世界に対して、新たに認識的、身体的な関係を発見する試みだったのである。≫
セザンヌが作品をつくっていたのは、こういう時代でもあった。
≪一八五〇年代、ヘルムホルツが測定した神経伝達速度という生理学上の発見は、とりわけ、その後に続く主観的な経験に関する実験主義的な研究に、大きな影響を及ぼすことになった。一九世紀半ば以前には一般的に、刺激が神経を通って脳に伝わるのにかかる時間は微少すぎて、計測不可能であると考えられていた。むしろ、刺激と、主体によるその経験とは、実質的に同時に起こるものだと考えられていたのである。だが、ヘルムホルツが測定した、電気信号が人間の神経系を通るのに要する時間は、そのあまりの遅さゆえに人々をおどろかせるほどであった。秒速約九〇フィートだったのである。この統計値は、知覚とその対象とのあいだには分裂があるという感覚を強めるのに、十分であった。さらにこの値は、刺激と反応のあいだに介入し、主体を「反応時間」という新たな経験領域へと関連づける、おどろくべき可能性を提示した。もはや、何ら支障のない視覚の現在性や瞬間性という観点から考察することは、不可能であるということが、明らかとなったのである。≫