●『ガールズ&パンツァー 劇場版』をDVDで観たけど、これは面白かった。評判なのも納得。二時間の映画で、そのうち一時間半は戦車バトルで、箸休め的にゆるふわのドラマ部分が三十分だけあるというつくりが、「ガルパン」という作品のベストなバランスであるように思った。そして、戦車バトルが相当がっつりと作り込まれている。一度観ただけで面白く、おそらく何度も繰り返し見ても面白いだろうと思われる。戦車の重さ、鉄でできているという感じ、動く時の振動、実弾を撃った時の衝撃、当たった時の衝撃などが、高度な臨場感をもち、リアルだと感じられるように(実際に戦車同士がバトルしている現場の経験などないから、ほんとにリアルかどうかは分からない)表現されていて、ただ、それを観ているだけで充分に面白い。そして、バトルの展開も練り込まれている。あー、よくできてるなあと思った。
ガルパン」という作品は、女子高生たちが戦車に乗って戦う話だけど(劇場版には女子大生も出てくるが)、いわゆる戦闘美少女モノと違って、戦いは「戦車道」という、華道や茶道のような「お嬢様のたしなみ」のようなものとされていて、激しい戦いが繰り広げられながらも、誰も死なないどころか、ほとんど怪我さえしないという、まったく現実感のない設定となっている。かなり多くのキャラクターが登場するが、彼女たちは皆、紋切り型であり、識別可能であるための徴以上の深みをもたず、そして全員善人だ(善人じゃないのは文科省の役人だけ)。本編には、スポ根モノのように、上手くなるために努力する場面もあったけど、劇場版では彼女たちは既に完成した戦車道のチームだから、高い臨場感の戦車バトルのシーンと、現実感のない、女子高生の日常的なゆるふわシーンだけで出来ている。いや、バトルの場面の基調にあるのも(彼女たちは決して死なないのだし、敵とは、別に敵対関係にあるわけでもないのだから)戦車や弾丸のハードなテクスチャ以外はゆるふわだ。一応、学園の存続を賭けて戦うという理由づけはあるものの、彼女たちに切迫した感じはほとんどない。あるいは、彼女たちを観る観客は、まったく彼女たちの切迫性を背負う必要がないようになっている(物語に、理由づけ以上の重さがないから)。
非現実的な、美少女キャラのゆるふわ日常を描くアニメはいくらでもあるし、高い臨場感をもったバトルが売りのアニメもいくらでもある。しかし、この二つを「戦車道」という強引な設定で結びつけることで、切迫性や、悲壮感や、悲劇性や、血と死の匂いや、暴力性や、政治や策略、といった現実的な生臭さをまったく感じさせないまま、ただ、表現のテクスチャとしてのバトルの臨場感(戦車という「物」のリアリティ)だけをつよく押し出すことが可能となったというのが、「ガルパン」という作品の新しさだと思う。ゆるふわで、摩擦や深刻さのほとんどない世界で(いわば、夕涼みの場で行われる素人将棋を後ろで見ているような気楽さで)、ただ表現のテクスチャの精度とバトルの展開のバリエーションだけが高度に進化してゆく、というような。完全に無害化された上で、高解像度で経験される戦闘の臨場感。
(この感じは、もしかするとゲームに近いのかもしれないが、ゲームと違って、観客にはプレーヤーの能動性がないので---プレーヤーはキャラたちなので---プレーヤーとしての切迫感によって世界と結びつくのではなく、キャラたち、あるいはゆるふわ的世界への愛好と、テクスチャの感覚によって作品世界と結びつくので、世界への没入のあり様が違っているのではないかと思う。)
実際、この作品は物語がまったく面白くない(物語が問題であるというわけではない)。戦車道の家元の娘である主人公が、戦車道をやめたい一心で遠くの学校に転校してきたのに、結局そこでも戦車道をやることになってしまうという、この作品で最も起伏の激しい物語が語られる本編の序盤部分が、この作品のなかで最も面白くないと思う(テレビ放送時、ぼくは二話までで観るのを止めてしまった)。非現実的なゆるふわ日常のなかで、キャラたちの人柄を表現するエピソード以外の物語は、この作品においては設定の説明でしかないように思う。キャラの人柄の描写が必要なのは、作品の基調であるゆるふわな空気をつくるためであるのと同時に、それがバトルシーンの展開のバリエーションとして効いてくるから。「劇場版」の場合は、本編によって既に描写されたキャラたちが多いので、物語的な部分をかなり圧縮できたのは大きいと思う。とはいえ、これ以上短いと「ガルパン」の世界の空気がつくれないと思われ、このバランスは、とてもいいと思った。
(あと、能登麻美子が声をあてているキャラが、あまりにもスナフキンなのが可笑しかった。)