●(追記)お知らせ。明日、4月7日の東京新聞の夕刊に、三菱一号館美術館でやっている「オルセーのナビ派」展の美術評が掲載される予定です。
●『この世界の片隅に』をもう一度観ておこうと思ったけど、地元のシネコンではもうやってなかったので、関内にある横浜ニューテアトルまで観に行った。三回目でようやく、最後まで割合冷静に観られた。
この物語が呉と広島についての話である以上、「ここ」と「そこ」を巡る物語となる。すずにとって「ここ」とは、広島なのか呉なのか。結婚した後の最初の里帰りの時、眠りこけていて母に起こされたすずは、「呉に嫁に行った夢をみていた」と言う。すずにとっての「ここ」がどちらか分からなくなっている。また、夫の周作と橋の上で、昔の知り合いに会ったら、今までの結婚生活の方が夢だったということになってしまわないか不安だ、とも言う。ぼんやりとしたすずにとって、こことそこの違い、つまり、現実と夢(フィクション)の違いは確定されていない。
また、この物語にはすず以外にも、自分の意思によってではなく「見知らぬ土地に連れてこられた女性」が二人いる。遊郭の遊女リンと、周作の姉である径子の娘の晴美だ。彼女たちはいわば「もう一人の(「そこ」としての)すず」だと言える。
この物語は、こことそこの違いが不確定な(交換可能性がある)状態としてはじまる。夫の周作とも、遊女のリンとも、はじめての出会いは現実(ここ)ではなくフィクション(そこ)のなかで起こっている。あるいは、兄の戦死には何のリアリティもない(フィクションのなかで「鬼イチャン」は生きている)。
(フィクションのリン=座敷童とは、リアルなスイカを媒介にして出会い、現実のリン=遊女とは、絵に描かれたスイカを媒介として出会うなど、相互に浸透し合っている。)
しかし、こことそことの交換可能性が次第に限定されるようになる。それはまず、スケッチブックが憲兵によって奪われるあたりからはじまる。スケッチブックには、呉の軍港の絵が描かれているだけでなく、広島の風景も描かれていたはずだ。すずはここで、手元にあった「描かれた(虚構のレベルの)広島」を失ったと言える。憲兵の一件について皆が笑い飛ばすなか、すずだけが笑えないのは、ここ(呉)と拮抗する「そこ」としての「手元にある広島」を失ったからではないか。
さらに、水原の存在は、周作と結婚しなかったすずの別の可能性を示しているが(すずが水原に「波のうさぎ」の絵を描いてやる場所と、着物を頭から被ったすずが、周作親子と出会う場所は、おそらく同じだ)、その水原から性的に迫られ、それを望んでいる自分を自覚しながらも拒んだ時、ぼんやりとあった別の可能性(この結婚生活そのものが夢かもしれないという感覚)が、完全に消失し、周作が夫であるこの世界が確定してしまう。
さらに、時限爆弾によって、(もう一人のすずである)晴美を失い、絵を描く(フィクションを成立させる)右腕を失う。さらなる空襲により、(もう一人のすずである)リンも失う。「ここ」と等価であるはずの「そこ」が次々と失われ、ひたすら、現実としての「ここ」だけが強く強いられるようになる。
だからこそすずに、「ここ」である呉での夫との生活を捨て、残されたなけなしの「そこ」である広島へ帰りたいという迷いが生まれる。この迷いは、戦争が次々とすずにとっての「そこ」を奪い取っていくことによって生じると思われる。
しかし、その広島も原爆によって失われる。時限爆弾が爆発した時、たまたま、晴美が右側にいて、すずが左側にいることによって、晴美が死に、すずが生き残った。あるいは、右手が失われ、左腕が残された。同様に、すずがたまたま広島へ帰るのを先延ばしにしていたことによって、すずは原爆を逃れた。偶然はすずを生き残らせるが、すずは、生き残るたびに様々な「そこ」を失っていき、「ここ」ばかりが強いられるようになる。
(しかしここで辛うじて、すずには---もう一人のすずとしての---妹のすみが残されている。絶望的な状況でも、すずとすみが二人でいる場面は明るい。それは姉妹であることによって、すみがすずにとって最後に残された交換可能性のある「そこ」だからではないか。しかし、そのすみも被ばくして病気になってしまう。)
次々と「そこ」を失うことで、すずは「ここ」にあり「ここ」を強いるものとしての戦争を肯定するしかなくなる。「これがわたしらの闘いですけん」とか「最後の一人まで闘うんじゃなかったんかい」とか言うしかなくなる。そして敗戦は、それを肯定するしかない「ここ」を失うことを意味する。
この物語はラストで、再び「ここ」と「そこ」との通路が開かれる。右手を失い、晴美を失ったすずたちと、「右手を失った母」を失った子供という、無関係な者たち(こことそこ)が、互いの失ったものを媒介に結びつく。
ここで、ほんの一瞬だが、この被ばくした母子が、広島を離れる時にすずが描いていた広島県産業奨励館(原爆ドーム)のスケッチの、右下の描かれた母子であるかのような表現があった。つまり、すずと周作が、そしてすずとリンが、フィクションのなかで既に出会っていたのと同様に、すずとこの子供とも、フィクションを媒介として既に出会っていたことになる。この出会いは、今は失われてしまったすずの右手によって既に紡がれていたと考えられる。右手は、失われることによってだけでなく、描くことで、既に両者を繋いでいた。フィクションとは、「ここ」と等価である「そこ」であり、同時に、「ここ」と「そこ」との間に、交換可能性や通路を開く力でもあることが示されている。