●「減算と縮約」(『亡霊のジレンマ』所収)はメイヤスーの主な理論の筋とはすこしズレて、ベルクソン-ドゥルーズという線の上にあえてのっかって議論を展開している。メイヤスーのカテゴリーでは、ベルクソンドゥルーズは「強い相関主義者」と対立する「主観主義の形而上学者」ということになって、その両者を同時に乗り越えようとするメイヤスー自身の立場である「思弁的哲学者」とは基本的に違っているのだけど、ここではあえて(『有限性の後で』では批判している)「主観主義の形而上学」の線に沿って議論がなされる。
(主観主義者は、《即自とは相関的なものそれ自体であると断言》する立場だとされてい.る。)
そして、メイヤスーのカテゴリーでいくと、おそらくマルクス・ガブリエルは「主観主義の形而上学」のアップデートバージョンということになるのだろう。ベルクソンの読み直しという意味では、エリー・デューリングとの違いも気になる。
メイヤスーとガブリエル、そしてデューリングやハーマンなどといった人たちの、遠いようで近い、近いようで遠い関係は興味深い。とはいえ、哲学の専門家ではないぼくにとっては、そのような細かい差異を正確に比較検討するというより、(人類学も含めた)これらの思想が「ポスト構造主義」以降としてあらねばならない必然性の核のようなものを、大づかみにでもつかもうとすることの方が重要であると思われる。
●『中央銀行が終わる日』(岩村充)、すごく面白い。