2021-01-30

●来年度の第三クォーター(10月から11月)に、大学の非常勤講師をすることになっている(100分×14回の講義をする)。まだ先なので内容はゆっくり考えようと思っていたのだが、二月中にシラバスを入力しなければならないことを知る。

(美大ではないし、たとえば早稲田の文化構想学部のような、文化や芸術に親しんでいる学生が集まるようなところでもなく、工学系大学の一般教養としての文系講座の、「文学」のうちの一つを担当する。)

(ゲスト講師として単発の講義をする、という以外に今まで「教育」にかかわった経験がない。)

基本として、具体的に「小説を読む」ことを中心とした講義をしてほしいということで、前任の人は、カフカを中心に据えながら、その前後に、文学史に割合と忠実な形で古典から現代小説までを扱い、最後に日本の現代小説を取り上げていたそうだ。今の時点では、基本的にはそれを踏襲しつつ、もっと日本の近代、現代小説に多く時間を使いたいと考えている。

特に、日本の現代小説は、よほどの文学好きでもない限り、そこに触れる機会が少ないと思われるので、この機会が「こんな世界がある」ということを知ってもらうきっかけになればいいと思う。頭のいい学生のあつまる大学だと思うので、そういう人にこそこの世界を知って欲しい、というものを示したい。

(だから、日本の現代小説にかんしては、有名な作品というより、深掘りしないとなかなか出てこないような作品---勿論、たんにマニアックということではなく、重要な作品---を扱いたいと考えている。とはいえ、ぼくの性質として、過度にマニアックな方向に走ってしまうきらいがあるので、それは抑制しなければならない。)

それと、授業は日本語で行われるので、日本語で書かれたものの方が、その感触をより直接的に感じられるのではないかということもある。

今のところ考えているのはそのようなぼんやりしたことで、具体的に、どの作家の、どの作品を取り上げるのかについては、全然絞れていない。まだ先だと思っていたので、この機会にいろいろな小説を読み返してみようと思っていたのだけど、それよりもまず先に大筋を決める必要があるようだ。

以下は、この講座の紹介のために書いた文章。

《本講義では,古典から近代小説、日本の現代小説まで,個々の作品を「読む」事を通じて,「小説とは何か?」を学ぶ。

「小説」は言葉を用いて創られる芸術である。

言葉を使う(話す・聞く・書く・読む)ことは、意味や論理(思想)の伝達だけが目的ではない。明示されない文脈や感情の提示、意識するより前にある世界への態度のあらわれ、リズムや呼吸、身体的な感覚、他者への共感や拒絶など、多くの要素が含まれる。

ここでは、文学史的位置付けやマッピングといった客観的分析ではなく,歴史を踏まえながらも、個々の作品を「読む」ことを通じて、近代、現代の小説(作家)が言葉を使うことで「何をしているのか」を考察する。

小説は、多くの人の先入観よりもずっと幅広い表現であり、「読む」ことが身体全体を用いた能動的行為であることを学ぶ。》