2021-03-04

●『スパイの妻』(黒沢清)の「語り」について少し思ったこと(以下、ネタバレしています)。

蒼井優が金庫から書類を盗み出す場面を観る時、彼女の行動の動機は高橋一生との平和な生活の維持(あるいは自己保身)であると観客は思い、故に書類はただ破棄されるか隠匿されるのだと思う。しかし、次に(これまで常に洋装だった蒼井優が)和装で東出昌大を訪ねる場面がつづくので、もしかしたら蒼井優高橋一生を裏切って東出昌大の方に寝返ったのたもしれないと思う。拷問の場面があり、高橋が連行され、東出から圧力をかけられる場面へと進むことで、その思いは強くなる。だが、家へ戻った高橋が蒼井に詰め寄ると、蒼井は高橋の告発への協力を申し出る。つまりここで、蒼井の東出への密告は、情報の一部を相手に渡す(味方の一部を相手に売る)ことで、相手を油断させる(相手に自分を味方だと思わせる)ための策略だったと分かる。そして、安定した生活を望んでいた蒼井が、高橋の告発への賛同へと心変わりした、その原因となったフィルムが、この時点で---種明かしであるかのように---観客にはじめて示される(蒼井がフィルムを観る場面は事前にあるが、その内容は示されていなかった)。

ここで蒼井の内心には、(1)最初は現状維持を求めていたが、(2)フィルムを観ることで高橋へ協力しようと心変わりする、という変化があったことになる。だが、「観客が推測する蒼井の内心」は、(1)現状維持を求める、(2)東出の方に寝返る、(3)高橋への協力を決意する、という三段階の変化になっている。つまり、作者の「語り方」によって、「東出の方に寝返る」というミスリードへと意図的に導いている。これを語りの巧みさ(技法)であると言うこともできる。しかしぼくは、ここで軽くひっかかってしまった。作品の内容の外に立って、作者が意図的に観客をだまそうとするのはどうなのか、という疑問を持ってしまう。

この物語は、隠したりだまし合ったりする話ではある。高橋が蒼井に重要な出来事を隠す。そして、蒼井が東出をだまし、高橋が蒼井をだます。だまし合いの物語であるからこそ、その外側から、作者が語りの操作によって観客をだますということを、していいものなのだろうかと、ちょっと思ってしまった。

これを、観客のミスリードを導く技法と取るのではなく、高橋の側からみた蒼井に対する疑いを反映したものだと取れば(つまり、ここでは高橋からの視点が織り込まれている、東出だけでなく高橋もまた蒼井にだまされている、と取れば)、このような語り方もまた映画に内在したものだとも考えられるので、微妙な問題で、だからあくまで、ちょっと気になってしまったという感じなのだが。

(ぼくが最も気になっているのは、フィルムの内容を観客に対して開示するタイミングを遅らせたことについてどう考えればよいのか、という点だ。それによって観客が蒼井の意図を読み切れないことがサスペンスを生むのだし、そのような語りの技法は普通にあるとは思うのだけど。)

そもそも、高橋一生蒼井優をだましているという事実を、作者は最後まで観客に対しても隠しているわけだが、それは、作者が観客に隠しているという以上に、高橋一生蒼井優に対して隠している。つまり、この作品では蒼井優が一応は視点人物として機能しているから(『レベッカ』のジョーン・フォンテインのように)、それはありだろうと感じられる。視点人物だからこそ、蒼井優の行動の意図を---ただ「読み切れなくする」だけでなく---意識的にミスリードさせることに対して、語りのフェアネスの問題として気になってしまったのだった。