2022/07/13

坂元裕二の新作は、huluでの配信なのか。ドラマ放映中だけhuluに入りなおそうかな。Huluに入れば、今なら『anone』も観られるみたいだし。

『大豆田とわ子と三人の元夫』を観ているときには、「大豆田…」に集中していたので、他の坂元脚本作品を観ようと思う心の余裕がなかったのだが(単発ドラマである『スイッチ』と映画『花束みたいな恋をした』は観たが)、今はそうではないので、U-NEXTで『カルテット』の一話を観た。

まず、とてもメジャーな俳優である松たか子に、地上波ゴールデンの時間帯のドラマという枠で、こういう役を(言い方は悪いが)あてがおうとするという、その段階で大きな創造性を感じる。たんに謎めいている(背後に何かを隠している気配がある)というだけではない、一見おとなしいように見えて、周囲との間に微妙な軋轢を生じさせてしまいがちな分かりづらさをもつ(松たか子の分かりづらさに対して、分かりやすく波風をたてるキャラとして、高橋一生がいる)。まずそれは、異様な声の小ささにはじまり、次に、それとは裏腹にも感じられる意外にもエゴイスティックな押しの強さが現れる。

たとえばまず、高橋一生によって提起される「唐揚げとレモン」問題があり、そこで四人の関係に小さな緊張が生まれる。しかしこの時点ではそれは一般論の範疇にあり、ドラマのなかで扱われるあるあるネタの一つに過ぎない。そしてこの緊張は対話によって解決可能だ。だがその後、松たか子によって、唐揚げ問題は一般論では片づけられない強さをもつ出来事へと深められる。高橋一生によって立てられる波風は対話によって解決可能であり、また、この人はこのようなキャラなのだと受け入れればそれはむしろかわいげであり、腹も立たなくなるだろう。だけど、松たか子によってもたらされる軋轢は、四人の根本的な考え方の違いを浮き彫りにし、簡単には合意や納得を形成することはできないものだ。松たか子の存在はキャラには解消できない小骨であり、それは容易には咽を通らない。ここでこの軋轢を(一時的に)解消させるのは、対話による合意や納得ではなく、松たか子による、(軋轢を生じさせている問題よりもさらに)強い出来事の提示であり、「唐揚げ問題」のより深い形での再提起なのだ(同時に、中断された「三つの坂」の完全な形での再提起でもある)

一話を観た限りで、このドラマのもっとも深い謎は松たか子によって担われていると思われるが、それ以外の三人(満島ひかり松田龍平高橋一生)もまた、背後に大きな不可視の部分を隠し持っている。つまり、すべての人物があからさまに多義的であり、正体や役割がまったく見えないままで、いわば「上っ面」だけで関係が進行している(満島ひかりのみ、ある程度背景がみえている)。今、ここで見えている状況は、このように見せようと意識的に操作された結果でしかないことが---四人の出会いが決してナチュラルなものではないことが---観客に対して明かされた状態で、ドラマが進んでいく。とはいえ、あくまで「背景」を隠したままの(背景を露呈させないように配慮された)ペルソナ的な関係が、しかしそれでも、それだけでは済まされない(背景や事情や謎とは別にある)「その人自身の地」のようなものをぺろっと引き出してしまう。松たか子が生じさせる軋轢が、そのようなものを引き出す引き金となる。意識的に隠されていることがあり、意図とは別にポロッと出てきてしまうものがある。そういう面白さ。