2021-08-20

●(昨日からつづく)『流れよわが涙、と警官は言った』で、アリスはある意味でキャシイの投影像のようなものであり、キャシイはアリスの「内容」であるとも言えると思う。ディックは、アリスの混乱を具体的に描くかわりにキャシイという人物を造形したように読める。そして、ルースが語る「愛」を実践し、「嘆く」という《もっとも強烈な感情》を経験するのが、アリスの兄フェリックスだろう。

キャシイが、夫の死を認めないということは、ルースの語る「嘆く」こと「悲しむ」ことを通じて実践される「愛」を拒否するということだ。だからキャシイは、「有名人と寝てもそれを受け入れる夫」を存在させるためにこそ、「有名人(に見立てられた男)」と寝る必要があるのではないか。夫より魅力的な有名人と寝てもなお、愛の対象として選択する宛先として夫が優先されるのだという心の動きが、「夫」への愛(の意識)を活性化し、それが(決して現前することのない)夫の存在感を高めるというメカニズムが機能しているのではないか。存在しない夫を存在させるために、有名人ではない人物を有名人化する。

そして、彼女の影であるアリスはその逆で、有名人であるジェイスンの「名」を(その存在の痕跡もろとも)消滅させ、はじめから存在していないはずの者とする。「名」を剥奪された有名人であるジェイスンが、兄フェリックスにとって重要な関心の対象(捜査の対象)となった時、兄からそれを奪うことが、兄への加虐的な愛の行為となるのではないか。だがこの兄への愛の加虐は、自分自身の身体(脳)への過剰な加虐を通してのみ可能であり、それは自らの死を招くことになる。ここで、キャシイの影であるアリスは、死によってキャシイの前から立ち去っていった夫(ジャック)への復讐を、キャシイに変わって(アリスにとっての愛の対象である)フェリックスの前から自分が消えることによって、果たそうとしているとは言えないだろうか。

(だとすれば、キャシイはアリスを通じて、ジャックの死を受け入れるということになるのか…。)

それによって、キャシイとアリスとが共に拒否した、「嘆く」こと「悲しむ」こととしての「愛」を、兄のフェリックスが味わうことになる。

(この小説にはもう一人、メリー・アン・ドミニクという重要な女性が登場する。彼女は、自分が良いクリエイターだということを自分で知っており、自足していて、それにおいて他者の評価を必要としていない。そして、彼女ただ一人だけが「愛」を必要としていない。あるいは、彼女自身が(たった一人で充分に)「愛」そのものである。これは「嘆き」としての愛とは異なり、彼女の存在はルース的な「愛」を相対化する。)

●以下、ルースが「愛」について語った部分を引用する。

《「じゃあなぜ愛はすばらしいのかね? 」ジェイスンは成人してこのかたの長い月日、このことを自分自身に関連してあるいはそれを離れてずっと考えてきた。いまもそれを身にしみて考えさせられていた。(…)「だれかを愛し、やがて彼らは去る。ある日家に帰ってきて、身のまわりのものを荷づくりしはじめる。そこできみはきく。“いったいどうしたの? ”って。彼らは“ほかにもっといい話があるんでね”そう言ってきみの生活から永遠にさようならだ。それからあと死ぬまできみは与える者はだれもいないその大きな愛情という塊を抱えてまわるのさ(…)」》

《「愛というのはね、店で見かけた品物を自分のものにしたいと思うように、別の人間をやたら欲しがるのとはちがうわ。それだったら欲望にすぎないもの。それをあんたは、身のまわりに置いていたい、家に持ち帰ってランプみたいにアパートのどこかにすえておきたい。そう思ってるのよ。愛というのは---」ルースはなにかを思い起こすふうに口ごもった---「燃えている家の中からわが子を救いだそうとする父親、子供たちを無事連れ出して自分は死んでしまう父親みたいなものよ。愛しているときはもう自分自身のために生きているんじゃないの、別の人間のために生きているのよ」

「それがすばらしいことかね? 」ジェイスンにはさほどすばらしいこととは思えなかった。

「愛は本能に打ち克つのよ。本能はわたしたちを生存競争に押し込んでしまう(…)」》

《「だがね、自己保存の本能に逆らうことがなぜいいことなんだい? 」

「わたしには説明できないと思ってるのね」

「ああ」

「自己保存本能は最後には負けるのよ。あらゆる生き物について言えることよ、モグラ、コウモリ、人間、カエルもね。(…)結局あんたの努力は失敗に終わり、死に屈服させられて、それで終わりよ。でももし愛があればあんたは消え去っても見守ることが---」

「おれは消え去るのはいやだよ」

「---消え去って、幸福感を抱きながら見守ることができるのよ。(…)あんたの愛する者の生きつづける姿を見守ることができるの」

「でも彼らだって死ぬんだ」》

《「でもその死を嘆くことができるのよ」ルースは不安そうにジェイスンの顔をうかがいながら言った。「ジェイスン! 嘆くのは人間、子供、動物が感じることのできるもっとも強烈な感情なのよ。それはすばらしい感情だわ」

「いったいどうすばらしいんだ? 」ジェイスンは声を荒らげて言った。

「悲しみは自分自身を解き放つことができるの。自分の窮屈な皮膚の外に踏み出すのよ。愛していなければ悲しみを感じることはできないわ---悲しみは愛の終局よ、失われた愛だものね。あんたはわかってるのよ、わかってると思うわ。でもあんたはそのことを考えたくないだけなの。それで愛のサイクルが完結するのよ。愛して、失って、悲しみを味わって、去って、そしてまた愛するの。ジェイスン、悲しみとはあんたがひとりきりでいなければならないと身をもって知ることよ。そしてひとりきりでいることは、生きているものそれぞれの最終的な運命だから、その先にはなにもないってことなの。死というのはそういうことなの、大いなる寂寥ってことよ。》

《「(…)でも悲しむというのは、死んでいると同時に生きていることなのよ。だからわたしたちの味わうことのできるもっとも完璧で圧倒的な体験なの。でもときどきね、わたしたちはそんなことに耐えられるようには作られていないのにと、悪態をつくことがあるわ。あんまりだって---そんな波やうねりを受ければ人間の体なんてガタガタになってしまうもの。それでもわたしは悲しみを味わいたいのよ。涙を流したいの」

「なぜだい? 」ジェイスンにはその気持ちははかりかねた。彼からすればそれは避けるべきことだった。そんなものは味わうにしても、さっさとすませてしまうことだ。

「悲しみはあんたと失ったものをもう一度結びつけるの。同化するのよ。離れ去ろうとする愛するものや人とともに行くのね。なんらかの方法で自分自身を分裂させて、その相手と同行して、その旅の道連れなにる。行けるところまでついていくの。(…)」》

《「でも結局」ルースは咳ばらいをして言った。「悲しみは消え去って、この世界でもう一度うまく折りあっていくのよ。ハンクがいなくてもね」

「で、きみはそれを受けとめられるんだね」「ほかにどうしようがあるの? 泣いて、泣きつづけるのよ、ハンクといっしょに行ったところから完全に戻ってこられなくてね---鼓動して血液を送り出している心臓からちぎり取られた破片がまだそこにあるの。心臓のかけら。癒えることのない傷口。そしてもし、一生のうちに何度も何度もそういうことが起きれば、心臓はたまらなくなってついには逃げ出すわ。するともう悲しみを感じることができなくなる。そして自分自身もいつ死んでもいいと思うようになるの。あの傾斜した梯子を登り、そしてだれか別の人が残ってあなたのことを思って悲しむのよ」》