2022/01/04

●DMMのスクリーミング配信で『熟女 淫らに乱れて(スリップ)』(鎮西尚一)を観た。画質の悪さが気になった(DVDより画質が悪いのではないか)が、映画はとてもすばらしい。

この映画ではまず、男(伊藤猛)がひたすら弱っていく。弱っていく様が、淡々と、ひょうひょうとした調子で示される。アルコール依存症で仕事を失い、妻に愛想を尽かされ、失業保険が切れて住む場所も失い、河原で寝泊まりするが栄養失調で倒れてしまう。ずるずると沼に沈んでいくような衰弱の進行のなかで、別居する妻から送られた離婚届に署名する気力もない。

河原で倒れたところを、釣りをする老人(沖島勲)と元カノ(葉月蛍)に助けられたところから、事態は少しだけ好転する。元カノの彼(守谷文雄)に仕事を紹介してもらい、元カノからもらったお金でデリヘルの女性と性交し、元カノカップルの家に呼ばれてカレーをごちそうになる。仕事を得て、自分のなかにまだ性欲(性交する力)が残っていることを確認し、そして、まともな食事をとることができた。それらを通して、あらゆる気力を失ってただ緩慢に死に向かっていたような男のなかにも、根強く「生存する欲」があったことが確認される。

カレーをごちそうになることで少し気力をとりもどし、男はようやく妻に離婚届を届ける決意を固めることが出来る。元カノカップルにスクーターを借りて、夜通し走って妻の住む沼津に向かう。途中で夜が明け、男は海の見える場所で、おにぎりを頬張り、ペットボトルの水でそれを流し込む。このおにぎりによって得た気力で、男は、今までどうしても出来なかった「離婚届への署名」を、することが出来た。

(他人からの援助で得られた、仕事、性交、まともな食事、そして最後の一押しのおにぎりが、男を少しだけ「健康」の方へ押し戻す、というシンプルな話なのだ。)

この、おにぎりを食べる場面からは、人間が人間であるより以前にもつ、「食べる」という行為を欲求する、その原初的で生物的な力の作用のようなものを強く感じる。洗練された演出によって形作られているこの映画が最も強く示しているのは、無気力となった人のなかにも根強く残り、顕現する、生物的な「喰らう」欲求の姿ではないかと思った。

だが、これによって男が気力の充実した積極的な男になるわけでは勿論ないし、男が生活を改めて肯定的に生と向き合うようになるわけでもない。この気力はただ「離婚届に署名してそれを妻に届ける」という行為を実行するだけのためのもので、その行為によって使い尽くされる。ささやかな目的をなんとか果たした男は、目標を失い、再びよるべなく漂う無気力な存在に戻る。

この映画は、無気力に衰弱に向かう男が、なけなしの気力を奮い立たせて、「妻に離婚届を届ける」という最低限のミッションをなんとか遂行するという話だと言える。しかし、一方にただ衰弱に向かう男がいるのだが、他方には、ひたすら健康な生活と健康な性交を行っている元カノカップル(葉月蛍・守屋文雄)がいるのだ。このカップルの生活の描写こそが、この映画を魅力的にしている最大のものだとさえ言えるのではないかと思う。

ぼくにとって(義務的に挿入されているかのような)ピンク映画の性交場面の多くは退屈に感じられてしまうのだが、この映画の(二度ある) 葉月蛍と守屋文雄との性交場面はすばらしい。健康で開放的な性交というのがあり得るのだなと思わせられる。

(この映画の元カノカップルの部分だけを拡大して、展開させたのが『ring my bell』なのではないか。)

●妻を失った男が、釣りの老人や元カノカップルから援助されながらも、基本的に一人に回帰していくのに対し、夫を失った女性たちは連帯する。妻(速水今日子)が家事介助している老女(内田高子)は、存在しない男性(おそらく亡くなった彼女の夫)と共に暮らしている。老女は、その男が昼間からパチンコに行ったり、大きないびきをかいて寝ていることを嘆くが、それでも漁に出るよりは寂しくなくていいと言う(夫を海で亡くしているのではないかと思われる)。妻はその言葉を受け入れる。妻と老女は契約による関係だが、おそらくそれ以上の何かを二人は感じている。そこへ、妻の友人でもある元カノ(葉月蛍)が、男が置きっぱなしにしていたスクーターを回収するためにやって来る。男がスクーターを置きっぱなしにしたことを媒介にして成立した、その場限りであるはずの三人の女性の関係が、しかし、(健康的で好ましいと思われる)元カノとパートナーとの関係よりもさらに強いもののようにさえも感じられる。

●男がホテルでデリヘルの女性を呼ぶが、ヤケになって酒を呑んでいるので、女性がシャワーを浴びているうちに眠ってしまう(しかしその後に、思いの外激しい性交が出来た、と展開する)という場面があるのだが、今回観てその演出に驚いた。

男から金を受け取った女性が、「じゃあ、先にシャワーを浴びますね」と言って、フレームアウトするかしないかのタイミングで、くいぎみにもうシャワーの音がして、シャワーの音が持続したまま、カットが変わると男がもう既にベッドで眠っている。そのカットもすぐに変わって、引き気味の構図で、二つあるベッドの一方に男が寝ていて、もう一方のベッドに下着姿の女性が座って無表情でタバコを吸っている。

最低限に切り詰めた、ほんの数秒でたたみかけられる三つのカットだけで、完璧に状況を描写するだけでなく、すごく切り詰めて時間を省略した速い展開なのに、映画のリズムそれ自体はゆったりと進んでいるように感じられる。このような、一見なんでもないようにみえて、驚くような演出がなされている場面が、この映画にはたくさんある。