2022/01/05

●『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(片渕須直) をU-NEXTで観た。ちょうど一年前、去年の今頃に観ていて、言いたいことはだいたいその日の日記に書いた。

https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2021/01/16/000000

この世界の片隅に』では、少なくとも前半(昭和20年3月19日の最初の空襲より前)は、基本的に「悪い人間」が存在しない---あるいは、すずが他人の悪意に気づかない---この物語の世界では、物語の調子は明るく楽天的なものとさえ言える。しかし、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』で、リンのパートが多く付け加えられたことで、この印象は大きく変わる。すずが基本的に、楽天的でふわっとした人物であることに変わりはないが、そのような人物であったとしても、そして、北條家の人々が基本的に皆いい人(周作の姉の径子はやや当たりがキツいが嫌な人ではない)だとしてもなお、すずにとって知らない土地での結婚生活は大きな負担であり、悩み事もある、という側面が強く出るようになっている。

(明るさや楽天性が後退しているので、もしかしたら、はじめからこのバージョンで公開されていたら、これほど多くの人には受け入れられなかったかもしれない。)

たとえば、妊娠の徴候があったので病院に検査に行くが、妊娠はしていないことが分かったという、病院帰りのその足で、すずは遊郭にリンを訪ねる。そこでのすずとリンの会話から、一見きわめてマイペースにみえるすずが、しかし実は、「嫁の義務」といった当時の「常識」に強く束縛されていることが分かる。そしてリンは、すずが囚われている「常識」に対して、ことごとく「別の角度からの視点」を返して、すずの負担を軽くする。

まず、妊娠したのではなく、食糧事情などで生理が滞っていただけだと落胆するすずに、リンは、いまどき、脱脂綿どころか紙でさえ貴重品なのだから、(生理が滞っていることが)うらやましい、と言う。すずは、家族のみんなも、自分も、子供が出来るのを楽しみにしていたのに…、と言うと、リンは、うちのお母ちゃんはお産のたびに歯が一本ずつなくなったし、最後はお産で死んだ、それでも楽しみなのか、と応える。でも、出来のよい跡取りを残すのが嫁の義務だとすずが言うと、リンは、男の子が出来るとは限らないし、男の子でも出来がいいとは限らない、と応える。だからできるだけ多く生むというすずに、切りが無いねえとリンが応える。でも、嫁の義務を果たさないと実家に返されるというすずに、リンは、実家に返されることがそんなに恐ろしいことのなかと返す。すずは、怖いお兄ちゃんは出征中でいないし、両親は呆れるだろうが、そうでなくても自分は常に両親から呆れられているので変わらない。妹もいるので、それなりに楽しくやれるだろうから、実家へ返されても大して困らないと納得する。今度はリンの方から、でも、子供がいたら確かに支えになる、と言い、そうそう、子供はかわいいし、と応じるすずに、困ったら売れる、女の子の方が高く売れるから跡取りができなくても大丈夫、と言う。

リンとの対話によって、すずもまた、「常識」に強く囚われていることを知ると、最初の帰省の時に「ハゲ」が出来ていることが発見されたことの重みが改めて感じられるし、また、水原が入湯上陸で北條家にやってきた時のすずの水原に対する態度を見て、周作が、おまえさんでもあんなに強くでることがあるのだな、みたいなことを言うのだが、それはつまり、天然のようにみえるすずでも、北條家では気を遣って、ある程度は「猫を被っている(広島のように自由に振る舞っているのではない)」のだということに思い至る。そこにさらに、リンと周作の関係を悟ったすずが、自分は「代用品」でしかないのではないかと悩み、夫婦の仲がぎくしゃくする様が描かれるので、戦争の状態が厳しくなって、戦争によって多くものが奪われていく後半になる前から、楽天的な調子は抑えられ、結婚生活のシリアスな側面が色濃くでてくることになる。

この点をふまえると、すずが、まわりの人々が自分のことを、あまりにも「楽天的で邪気のない人物」だと決めつけていることに対する違和感というか「もやもや」のようなものを持っていることも見えてくる。自分にも悩みはあるし、どろどろした心もあるのだ、と。たとえば、間諜行為を疑われて憲兵にスケッチブックを奪われるエピソードで、すず以外の家族は全員大笑いするが、すずは笑えない。すずにとってそれは、そんなに簡単に笑って済ませられることではない。また、花見の場面で、すずは周作に「友だちと会っていた」としか言っていないのに、周作は勝手に「友だちにつられて木に上ったら降りられなくなって、怒られると思ってそのまま途方にくれていた」と、いかにも「ぼんやりキャラ」らしいエピソードに勝手に脚色して家族に説明する。それに対してすずは、いや、それはちょっと違う、と感じる、という描写がある。