●昼頃に、ここ何日かかかりっきりになっていた原稿が最後までたどり着いて、読み返す前に時間に区切りをつけるため、(雨があまり強くならないうちにという気持ちもあって)買い物に出て、ついでに、原稿を書くために大量に借りていたDVDも返してしまおうと思った。借りる時は一本百円だけど、延滞すると一日三百円かかるから、大量に借りているとたいへんなことになる。部屋を出る前に洗濯機を回しておく。DVDを返すついでに、昨日観た『ring my bell』がとてもよかったので、『み・だ・ら』(鎮西尚一)を借りてきた。通常ピンク映画が置かれているエロ物のコーナーに見当たらず、監督名で検索してもひっかからず、なくなってしまったのかと思っていたら、AVが置いてあるところにあった。蕁麻疹はずいぶんよくはなったけど、まだ体の何か所もが軽く腫れている。サバはちょっと食べる気にならなかったので、アジを買ってきた。帰って、洗濯物を部屋のなかに干す。
●『み・だ・ら』は前にも一回観ていて、その時も面白いと思ったけど、今回は、前に観た時よりも更に更に面白く感じられた。おそらく前に観た時は疲れているかなにかで、この面白さを十分に見てとることができなかったのだ。『ring my bell』は、「こういう自由があったのか」という感じだったけど、こちらはごく普通の意味で傑作だと思った。映画としての仕掛けも面白いし、俳優もいいし、ドラマ的にも面白くて、それらがバラバラにあるのではなく、うまく絡んでいる感じ。復帰後の鎮西尚一はすごいなあ、と。六十分ちょっとの短い映画ということもあるけど、つづけて繰り返し二回観た。
主人公の伊藤猛は、アル中で会社を辞め、実家に帰った奥さんから離婚届を突き付けられ、さらに住むところまで失った上に栄養失調で倒れてしまうというダメぶりで、その状況をなんとかしようという気力もなく、それでもなんとか昔の恋人の旦那のツテで工場で働くのだが特にやる気もない。夜、コインランドリーで離婚届に署名しようとしても踏ん切りがつかず、その時たまたまポケットにあった昔の恋人から渡された金で女を買うのだが、女の子がシャワーを浴びている間に(止めたはずのアルコールを飲んで)酔って眠ってしまう。ここまではもう、ダメと無気力と不手際しかないのだが、行為をはじめると意外にもすごいことになって、こういうところでいきなり生命力の発露みたいのがバーッとあるのが面白い(「ちくしょう、勃ってやがる」と自分に向かって言う台詞が笑えてとても良い)。もう一か所、奥さんの実家にスクーターで向かう途中でオムスビを貪り食う場面でも同様の「何かの力がいきなり表にでてくる感じ」がある。それは希望のようなものではなく、こんなにも無気力で何もないないのに、こういうところに限って無駄に(勝手に)何かが出てきてしまう、という不条理な感じなのが面白い。体力もなくなり髪も薄くなってくるのに、ヒゲだけは濃くなってくる、みたいな。実際、このような力が何かにむすびつくことはなく(離婚届に署名する力にはなるのだが)、無気力と行き先の無さが一層増したところで映画は終わる。
この映画には、面白い空間の使い方やモンタージュ、不思議な時間の処理とかがいっぱいあって、その一つ一つが面白いのだが、そのような映画としての仕掛けが、俳優の良さを引き出すということと常に絡まってあるのがすごくいい。この映画では俳優がみんないいのだが、特に葉月蛍はすばらしいと思う。俳優自身が良いということも勿論あるのだろうけど、葉月蛍の良さを最大限に引き出そうとして撮っている感じがする。存在として、基本的に「陽性」という感じ。細かいニュアンスで捉えられるものではなく素朴な筆致でぐいっと描かれた何かのような。あ、でも速水今日子も、最後の方で伊藤猛から離婚届けを渡された後で、「仕事楽しいけど、私ってわりに何やってても楽しいと思うタイプだと思うけど…」みたいなことを言う場面とかすごくいい。根本的に陽性だというのとはすこし違った、繊細な楽天性の感触。この映画は基本として、伊藤猛と葉月蛍との、その存在のあり様の対比で成り立っていると思うけど、その傍らにすっと速水今日子がいるのがすばらしいのだと思う。
あと、『ring my bell』でも思ったのだが、鎮西尚一って人の裸の捉え方が独特な気がする。量感で捉えているような感じ。マティスの描くヌードみたいな感じ(マティスの絵は一方で平面化してゆくのだが、マティスにとって人体は常にボリュームとしてあり、それが作品の全面的な平面化を押しとどめる抵抗となっていると思う)。太い葉月蛍も細い速水今日子も、その二人より若い立木ゆりあにしても、その裸は量感で捉えられていて、何と言ったらいいのか、接触感や触感、あるいは湿り気があまりないというか…。性交の場面でも、身体の接触面が少なくて、体位の変化とかも空間的な展開として捉えられている感じ。他のピンク映画の性交場面とはかなり感じが異なる。では、エロくないのかと言えばそんなことはなく、接触感ではなく量感で捉えることのエロさになっているのだと思う。
あと、これも『ring my bell』でも思ったのだが、鎮西尚一って、二階建ての一軒家を映画の空間として活用するのが世界一上手いんじゃないだろうか。