2022/02/09

●神奈川県立図書館で、こちらが送料を負担すれば、ネットで予約した本を郵送してくれるというサービスがあることを知った。近くの市立図書館にはなくて、高価で手の出ない本を何冊か借りた。

そのうちの一冊、『鈴木清順論 影なき声、声なき影』(上島春彦)の、(本論部分ではないのだが)「清純映画作品解説」をパラパラみていたら、一日読み耽ってしまった。

(大判で700ページ近くある本で、値段は税込みで11000円。本論と言えるのは、『夢殿』という実現しなかった作品と、『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』の三部作との関連について書かれている章と、『夢殿』、そして鈴木清順が日活を解雇されるきっかけとなった『殺しの烙印』の脚本を書いた具流八郎---鈴木清順のまわりに集った複数の人物の共同ペンネーム---について書かれた章で、それに、清順映画キーワード事典と、全作品の解説が加えられている。)

テレビドラマやビデオ作品を除いた、すべての映画作品を解説しているのだけど、作品の解説というよりも、作品に関わった関係者や監督自身のインタビューの抜粋による、作品の裏話のようなものがまとめられていて、たとえばAという人がその作品にかかわっているとしたら、Aがその作品について語ったものだけではなく、Aという人の来歴もわりと詳しく語られたりするので、面白い話が数珠つなぎで連なっていて、どこまでも読んでしまう。

(ただ、作品の評価はぼくとは違うとも感じた。日活解雇後、というか、プログラムピクチャー消滅後の鈴木清順作品としてとても重要な快作---怪作---だとぼくが思っている『悲愁物語』と『結婚』について、筆者は冷淡だ。『陽炎座』より後、『カポネ大いに泣く』以降の鈴木清順の力がやや衰弱しているということは同意できるが、そのなかで『結婚』という作品が、衰弱によって可能になった、みなぎる力とは別種の突出を実現していると、ぼくは思う。)

●驚いたのは曽根中生の話だった。曽根中生は、具流八郎の中心メンバーの一人であり、にっかつロマンポルノで最も重要な監督の一人でもあると思うのだが(相米慎二は曽根の助監督だった)、曽根が、「嘘ばかりつく」「詐欺師のような人だった」と言われていること。曽根中生は、八十年代の終わりに行方知れずになって、2011年に再び人前に出るようになって自伝を出版し、2014年に亡くなる。その自伝について(これも具流八郎のメンバーであった)岡田裕は「偽書」だと言い、さらに次のように言っている。

《曽根っていうのはそういうことをやるヤツなんですよ。僕のプロデューサーとしての一本目(七一年『色暦 女浮世絵師』)が曽根の監督でね。だから言いたいことをなんでも言えちゃう関係だから、事実なんでも言っちゃたわけだけど、本人にはお前、本当に嘘ばっかり書いてるよなって。だから今日話題になった著書でも、書いてあることを知らない人がすべて真に受けるとちょっと困っちゃうよね。結構いろいろな裏切りもやって生きてきた人でしたから。》

そういう人だったのか、ということで、曽根の自伝を読んでみたくなった。

●日活時代の鈴木清順の不思議な立ち位置(《評価の低い売れっ子》)について書かれているところも面白かった。『東京流れ者』の解説部分から。

《六六年の鈴木清順は、今思えば絶好調の布陣。代表作ばかりだが、当時はそれほど評価されていなかったらしいのが意外である。その後に有名になった監督の作品を振り返るわけだから、低い評価それ自体はありうる、もしくは当然。なのだが、一方不遇にしては多作という矛盾する印象も大いにあり、上層部の受けが悪かった割には「したい放題」という感じが強い。その上まったく異なるジャンルの映画を片っ端からこなしている。要は売れっ子、ただし評価の低い売れっ子、である。》

《もちろん、やりたいようにやっているから(上層部から)不評なのだろうが、それを単純に「異能の人」といったニュアンスでは語れない。契約監督というのはあくまでスタジオ・システム内部の駒であるわけで、反骨だけではそもそも仕事をさせてもらえないだろう。実際そういう「反骨」のせいで仕事の機会を奪われて消えていった契約監督は当時の日本映画には相当数いたのではないか。公式的な批評家からの無視と裏腹な、新しい批評家と若い映画ファンからの注目、それに撮影所の意欲的な助監督たちの支持、こうした状況がこの時期の清順を業界(日活)内部での独自に位置に置いたものと思われる。》

会社の上層部の受けも悪く、興行成績が良いわけでも、権威ある批評家からの支持が強くあったわけでもないのに、《評価の低い売れっ子》であることが可能だったのは、勿論、《撮影所の意欲的な助監督たちの支持》、つまり作り手から支持されていたということも大きいのだろうと思うが(それが具流八郎に繋がるのだろうが)、それでも、プログラムピクチャーという制度のニッチにそれなりに適応していた結果ということではないか。だからぼくとしては、日活解雇後の鈴木清順の作品の方により興味がある。監督としてのピークは日活時代だろうし、すばらしいのは間違いないのだが、それは、プログラムピクチャーという制度があって、その上に乗っかっている感じがどうしてもあって、しかし、『悲愁物語』『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『結婚』は、それが崩れた後だからこそ生まれたものであるように思える。