2022/02/17

●『さらば箱船』(寺山修司)をアマゾンプライムで観た。82年に製作され、寺山の死後、84年に公開された。助監督に榎戸耕史がクレジットされている。昨日の日記で書いた『草迷宮』に比べると、格段にかまえが大きくなり、野心も大きくなっている。

基本的に、切れ味の良い断片性による才気の人であり、挑発や攪乱を用いた批判的な仕事をした人であると思われる寺山修司が、最後に、ここまでかまえの大きな物語を語り、それを映画としてきちんと構築しようとしていたという事実に心が動かされるものがある。根拠のない推測でしかないが、物語としてはガルシア=マルケスに刺激されたのだとしても、映画としては『ツィゴイネルワイゼン』(80年)、『陽炎座』(81年)から受けた触発が大きいのではないかと感じた。同じ「演劇の人」である荒戸源次郎がプロデュースした(劇団を母体にした)、そこまで予算が大きいというわけではない映画で、ここまでのことが出来るのだということを見せつけられて、メラメラと闘志が湧いたのではないか。

(『草迷宮』のクライマックスシーンからも、日活時代の鈴木清順の影響は感じられる。)

ここで驚くべきは、この物語の舞台となる「前近代の村」のイメージから、青森(東北)的な要素の一切が払拭されて、南国のイメージになっているところだ。『草迷宮』(78年)にも東北的なイメージはないし、『上海異人娼館』(80年)は上海なので、晩年の、解体から構築へ転じた寺山修司の映画作品から、青森(故郷)のイメージが消えるというのは興味深い。

(あ、でも、映画作品に限れば、青森のイメージが強いのは『田園に死す』だけなのか。寺山というと自動的に青森を連想することの方が間違っているのかも。)

(この映画で、登場人物達が喋っている言葉=方言は、何に由来するのだろうか。映画が撮影された沖縄の言葉なのだろうか。)

終わり方に、ちょっと複雑な気持ちになった。この映画をつくっていた頃の寺山はかなり病気が悪くなっていたはずで、映画をつくりながら自分の死を意識していたことは確かだと思われる。自分の死を意識すると、やはりこういう終わり方になるのかなあ、と。