2022/04/10

●アピチャッポンの『光りの墓』には、眠り続ける病に陥った若い男性の兵士と、ボランティアでその世話をする中年の女性、眠り続ける兵士の「夢」を見ることができるというシャーマン的な若い女性が出てくる。そして、シャーマン的な女性は、兵士の夢を見てそれを語るだけでなく、女性が兵士になりかわって、中年の女性をエスコートして「兵士の夢のなかの宮廷」という設定である「森のなか」を歩くという場面がある。

ここでは、知覚される通り人物(中年女性)と、見立てられた人物(兵士として振る舞う若い女性)が連れだって森を歩くことになる。そして驚くべきことにここで彼女たちは、見立てられた空間(兵士の夢のなか宮廷)と、知覚通りの空間(森のなか)を、自由に行き来するのだ。実際にはそこにない「段差」を跨いだり、実際にはそこにない鏡に映るように位置を微調整したりするのと同時に、実際にそこにある(スクリーンに映し出されている)植物を「この蘭はわたしが育てた」と言って兵士に示したりするし、夢のなかにいるはずの兵士が、(我々が見ているその通りの)湖の光景に感動したりする。

知覚される通りの人物と、(見えている人とは別人であるという設定の)見立てられた人物とが、(実際にスクリーン上に見えているのとは別の場所であるという設定の)見立てられた空間を歩く、というのなら分かり易い。知覚される通りの人物が、見立てられた虚構的、抽象的な空間のなかに入っていく、というだけのことだから。しかし、「そこ」が見立てられた空間であるというルールはあっさりと、そして頻繁に破られてしまう。見立ては見立てとして成立しているが、同時に、見えているものもまた、見えている通りにそこにあるのだ、と。

この、あまりに鷹揚な世界のありようの緩いルールは、シャーマン的女性が彼女自身ではなく兵士であるという設定も危うくさせる。彼女は今、兵士として振る舞っているのか、それとも彼女自身として振る舞っているのか分からなくなる。

(そもそも、中年女性と兵士との関係のあり方がどうなっているのかが掴みがたい。年齢差通りに、代理的な母と息子の関係のようでもあり、年齢差を越えた、というより、年齢差そのものが存在しないかのような、恋愛的、性的な感情を含んだ関係のようにもみえる。兵士には、中年女性が我々が見ている通りの女性とは別の年齢として見えているのではないか、とも思えてくる。)

そしてこの場面は、シャーマン的な女性が、中年女性の事故によって変形した足に薬草を溶いた水をかけ、それを丁寧に舐める、というところまで進行する。この行為そのものの不可解さというのもあるが、それだけでなく、これはいったい、誰と誰が何をしているの? 、という感じになる。

常識的に考えれば、ここでは病にある者(兵士)とそれを癒す者(中年女性)との位置の逆転(切り返し)が起こっているといえるが、それだけではない。この一連の展開を観ることを通じて、見えるものと見えないもの、知覚と見立て、魂と体、これらのものが、統一的な足場(安定的な地・ルール)が成立しないままくるくると入れ替わっているので、誰(身体)が誰(人格)であるかということは割とどうでもいいことではないか、というような感覚になってしまっている。というか、人の「固有性」というものが何を根拠に成り立っているのかがよく分からなくなってくる。この場面には、治療というだけでなく性的なニュアンスが含まれるが、ここで性的な交歓をしているのは、女性と男性なのか、女性と女性なのかもわからない。というか、別にそれももうどちらでもかまわないという感じだ。

そして、この一連の展開を、非常に充実した感覚的にリアルである質感として受け入れている、少なくともその間だけは、「輪廻転成というのはこういうことなのか」ということを直観している。この作品では、「生まれ変わり」といったような死生観が、思想として、あるいは信仰として、意味として主張されているというより、その感じを思わず受け入れてしまいそうになるような感覚的構築物として形作られているのだと思う。

(追記。本来、シャーマン的な女性は、たんに兵士たちの夢をのぞき見して、それを家族に伝えることができるだけであったはずなのに、いつの間にか、シャーマン的女性の見たものや聞いた声が逆流して、「兵士の夢」に影響を与えることになってしまっている。そうでなければ、兵士と中年女性とが「二人で連れ立って」「対話しながら」夢のなかの宮廷を歩くことはできないはずだ。アピチャッポンの作品では、様々なものたちがどんどん相互作用を始めてしまうので、基底ルールが成り立たず、どこまでも融通無碍になる。)

(このシャーマン的女性はまったくミステリアスではなく、一方で、芸能人がキャンペーンして回っている美容クリームの宣伝販売員をやっていて、もろに資本主義的な連関---資本主義下における美容と神秘主義とのあやうい共犯関係---に埋もれてもいることが示唆される。)