2022/07/11

●合議というのは政治的な駆け引きの場だ。そこで問題になるのは「合意の形成」であって、(数学の証明のような)正しいか正しくないかではないだろう。だからそこでは戦略的に振る舞うことが要請される。つい、弱音がぽろっと出て、「なんか辛いんだ」とか言うことはできない(少なくとも、奨励はされない)。場における効果を計算して、あたかも弱音を吐くかのように振る舞うということはあるだろう(そういうことがナチュラルに出来るのが「政治家」だと思う)。だが、すべての人にそのような高度な政治的ふるまいを要求するのは酷だ。

「なんか辛いんだ」という弱音を吐くことが出来るのは、親しい友人たちだけのいるプライベートな場か、そうでなければ閉ざされたカウンセリングルームの中だろう。そのような場における「弱音」は外には出ない。外に出ないからこそ弱音が吐けるのだが、外に出ないので「表現」としてみえるようにならない(表に現れない)。

そのような、外に出ることのない弱音(苦痛)に、外に向けた「表現」を与えることができるのが「秘密投票」だ、と考える。苦痛トークンを、そのようなものの一種として考えている。

(匿名のSNSも、表現としての「秘密投票」の一種と考えることもできる。だがここでも、アテンションを得るためのパフォーマンス能力が問われてしまう。)

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もちろん、現時点での苦痛トークンは粗いラフスケッチの段階でしかない。たとえば、メンバーの大多数がシス男性である組織に、たった一人トランスの女性がいた場合、ほとんどのメンバーにとって快適な組織が、一人にとってとても苦痛であるという場合があり得る。この時、苦痛トークンはその苦痛をきちんと拾って対応することが出来るのか、という問題がある。

とはいえ、「問題」を問題として指摘できれば、それに対する「技術的な解」がどこかにあるはずだとも考える(大部分の人にとって快適な組織のごくに一部だけ極端に高い苦痛量か示された場合、少数者を抑圧する何かしらの問題がある可能性が高いということを感知するアルゴリズムなど)。たとえ、技術的な解をみつける能力が自分にはないとしても、あり得る問題を考えることには意味があると思う。

(そのアルゴリズム自体の正当性を誰が評価するのか、という別の問題もあるのだが。)

(それ自体として外にはあらわれない弱音や苦痛を、芸術や文学という形に加工して外に出すことはできるし、そのような作品が政治的に力をもつこともあり得る。苦痛トークンは、より直接的、定量的、非属人的に、そのようなものであることを目指す。)

(苦痛トークンは、コミュニティの移動の困難と深くかかわる。他に収入を得る手段があれば、ブラック企業に留まる必要はなく、苦痛トークンは必要ないし、外国への移住が容易ならば、日本をよくする必要はないので、苦痛トークンは必要ない、ということになる。でも、そうではないから必要だ、と。)