2023/02/10

●思いつきメモ。ハーマンは、還元主義(下方解体)によっても、関係主義(上方解体)によっても、オブジェクトが汲み尽くされることはないと言う。ただ、これだけだと、「もの自体」は汲み尽くせない(相関主義)と言っているのと変わらない(だからこそ、ハーマンにおける「断絶」や「無関係」ばかりを強調するのは違うと思う)。それに加えてハーマンは、オブジェクトは「壊れる」ことによってその「もの自体」性を発現させるとする。ハンマーは壊れることができる。オブジェクトは、「壊れる」ことで、還元主義からも関係主義からも逸脱するオブジェクトのオブジェクト(実在)性を示す。オブジェクト(実在)は壊れることによって(関係からも、内実からも)脱去するという性質を露わにする。
『不穏な熱帯』(里見龍樹)では、これにさらに加えて、実在(≒狭義の自然)は、われわれの「関係/内実(「関係/内実」の関係)」の変更を強いる「圧力」として、その「もの自体」性を発現させるのだと書かれているように読める。この圧力は、ストラザーンが「イメージ」として描くようには、必ずしも生産的な力となるとは限らない。圧力は、新たな関係/内実を創造させるかもしれないが、関係そのもの、内実そのものを破壊させるかもしれない。「わたし」は、自分自身を驚かせることができるかもしれないし、できないかもしれない。モノは壊れるかもしれないし、コミュニティは崩壊するかもしれないし、人類は滅亡するかもしれないし、地球は破壊されてしまうかもしれない。実在はこの「のるか/そるか」を強いる「/」として(姿なき)姿を現す。
(その姿なき姿は感覚的性質=イメージであるが、その「圧力」は実在的対象から来ている。)
さらにハーマンは、還元主義によっても関係主義によっても汲み尽くせないものとは「形式」であるとも言っている(「唯物論では解決にならない」現代思想2019年1月号)。形式こそが、汲み尽くしえない(内にも外にも還元できない)「余剰」を持つのだ(というか、「余剰」それ自体が形式をもつのだ)、と。形式という次元にこそ実在/裂け目が宿っている。オブジェクト指向存在論は、形式主義存在論でもあることになる。
(実在は、内的要素によって決定されず、外的関係に還元されずに、そのどちらでもない境界面=輪郭面のような位置としてある、あるいはそこに宿る、というイメージが描ける。)
(固有名は確定記述の束には還元できない、というロジックをうっすら思い出す。)
●関連があるかも。「解像度を上げる」ことと「粗視化する」こと、そしてオブジェクト指向存在論について。

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