2023/06/03

⚫︎巣鴨保坂和志の小説的思考塾vol.11(with池松舞)。以下は、内容のレポートではなく、話を聞きながら考えたことを書いたものです。

⚫︎基本的に、芸術は芸術家しか必要としないと思う。だがここで芸術家とは、真剣に芸術を受け取ろうとしている人、または、本当に芸術を必要としている人のことで、人から、社会から、芸術家として認められている人のことではない。実際に作品を作っているか、いないかというのも、実は本質的な問題ではないのではないかとすら、最近は思う。佐藤雄一は「人を詩人にするものが詩だ」と詩を定義した。それをもっと進めて考えると、「詩を真剣に読んでいる時点でその人はすでに詩人だ」と言ってもいいのではないか。詩を一行も書いたことがなくても、真剣に読んでいればその人は未然の詩人であり、未然の詩人はそれで十全に「詩人」なので、仮に、一行も書かないまま終わったとしても、何の不足もなく「詩人」なのではないか。

「小説家」も同様で、「書けそうになったら書けばいい」という姿勢でいいのではないか。「書けそうになった」が訪れることなく一生を終えたとしても、「書けそうになったら書く」という待機をずっと続けた人なら、その人は「小説家」なのだと思う。「書けそうになったら書く」という待機の時間を生きることこそが小説家として生きることで、それが実際に「書く」ことに比べて価値が低いということはない、と言い切ってもいいはず。

(つまり、「芸術」とは、未然の芸術家も含めた「芸術家」のためのものだ、と。「書けそうになったら書く」という待機の時間を生きることは、ただ消費のためだけの時間を生きることとはまるで違う。)

これと対極にある考え方が、新人賞を一種の「資格試験」のように捉える考え方だろう。勉強をして、試験を受け、それにパスすれば、その資格を得たと名乗ることが許される。気象予報士の国家試験を受け、パスすれば、「わたしは気象予報士です」と名乗る権利が社会的に得られる。小説家も同様に、文芸誌の新人賞に応募し、受賞すれば「小説家」と名乗れる。たとえ、小説家になったからといってそれだけではとても生活できるようなお金は得られないとしても、小説家としての社会的なステイタスは得られる。保坂さんが指摘していた「小説の書き方」本の多くは、基本的に「資格試験」の勉強のための教材と同じ感覚で書かれているのではないかと思った。

しかし、作品を作ろうとすること(書けそうになって、あるいは、書く必要があって、書いてしまうこと)は、資格とか、社会的な地位とは全く無関係な場所で、ただ「始まってしまう」ように起ることだ。この「ただ、始まってしまう」こと(あるいは「始まってしまう」を待機していること)と無関係な人が、「資格」だけを持っていても意味はない。例えば、小説を書くためには、なるべく多くの小説を読む必要があるのだとすれば、それは、それが「ただ、始まってしまう」状態へと自分を持っていくために必要だからで、資格のために勉強するという意味での「勉強」とは根本的に質が異なるものであるはず。

(「資格試験」に全く意味がないとは思わない。小説をずっと書き続けたいのならば、現状では新人賞に通った方が「条件」としては望ましいし、アニメを作りたいなら、好きな作品を作っている制作会社に就職できる方が「条件」としては望ましい。人は、自分が生きている諸条件から自由ではあり得ないし、そうであれば、条件は良い方が望ましいし、望ましい条件へ向けて努力することには意味があるだろうと思う。しかしそれは全てではないし、根本的なことでもないはず。社会的な「資格」がなくても、やり方はあるはず。)

社会の中には「人生を空虚なものと思わせようとする罠」がたくさんあって、「そんな誰にも読まれないものを書いていて意味あるの?」とか、「そんなわけ分からないもの誰が認めるの?」とか、「外的な評価」をチラつかせつつ「そんなんじゃ誰にも好きになってもらえないよ」的な精神攻撃を「あなたのためを思って」風にして仕掛けられる場面が多々ある。それに抗するには、「書けそうになったら書く」という待機の時間を、それ自体として、より充実した、強いものにしていく必要はあると思う。

(作品を作ることが作らないことより偉いという考え、作品を作らないでいることを後ろめたく感じてしまうこと、さえも、大きな偏見なのではないかと最近思う。「書けそうになったら書く」ための待機の時間を、どう作り、どう生きるのかこそが重要なのではないか。)

⚫︎会場にいる人も、スタッフも、若い人(30歳前後くらい?)が多いことからふと、90年代前半の「日本の文芸」の中で保坂さんの小説がいかに異質だったのかという、あの感じを、ほとんどの人は知らないのかもなあと思った。「すでにある評価(評価のされ方)を当てにしないで書く」という保坂さんの言葉は、93年くらいに保坂さんを初めて読んだ時の「こんなのアリなのか」という驚きがあるととても説得力がある。この驚きは、保坂さんから影響を受けた作家がすでに何人かいる現状の中で保坂さんの小説を読んだ人の受ける感じとは違うのだろう、と思う。90年代には、保坂さんの小説はある風景の中に全く異質なものがいきなり現れたという感じだった。

⚫︎文体について。ちょっと前に、ある人の小説を読んで、改めて、小説には「言葉」しかないのだなあということを思った。つまり、ただ「書いた」だけでは、表現が全然立ち上がってこない。言葉はただの記号でしかないから、そこから何かを立ち上げるのは簡単なことではない。舞台の上に俳優が立っていれば、その身体は何もしなくてもある表現性を持つ(持ってしまう)。しかし、「舞台の上に男が一人いる」と書いただけでは、状況の説明以上のものは何も立ち上がらない。説明でしかない文と、描写といえる密度を感じる文とは明らかに違うのだけど、じゃあ、どうすれば描写になるのかは自明ではない。何を言いたいかというと、小説は「大変だなあ」ということ。

保坂さんが、文体とは、文字ではすんなりと書けないようなことを、それでもなんとか文字で書こうとして捻り出すときに、そこに現れてくるもののことだ、と言うのには納得できた。つまり、すんなりと言葉にできる範囲でしかものを考えたり感じたりしていない人には文体がない、と。技術とか修辞とかの問題ではない。というか、なぜ、その技術や修辞が必要となるのか、というところの「元になるもの」が重要になる。

⚫︎何で書くか(手書きかPCか)、みたいな話があって、自分が文章を書くきっかけになったワープロを思い出した。90年代の初め頃だと思うけど、当時ですでにかなり古い型だったワープロが質屋で格安で売っていたので買った(数千円だったと思う)。それは、ディスプレイが三行分しかなくて(書いている途中、文章を三行しか見られない)、メモリーもA4二枚分しかなかった。しかも、外部メモリー(フロッピーだったと思う)に書き出す機能が壊れていた。なので、A4二枚分の文章を書くと、紙(感熱紙)にプリントアウトして物理保存し、それからメモリーを全部消去して、その続きを書くという感じだった。

99年に、友人から、買い替えたからという理由で貰い受けた中古のMacが手に入るまでずっと、その古くて壊れたワープロで文章を書いていたはず(Macを貰って三ヶ月後くらいに偽日記が始まった)。

学生の時、レポートとして原稿用紙で10枚くらいの長さの文章は手書きでよく書いたが、ぼくは自分の書く字が好きではなく、手書きの文章からは自分の書く字への「嫌さ」というノイズが大きく出でいるので、長く書くのは耐え難く、レポート以上のものを書こうという気にはなれなかったと思う。だから、古くて半分壊れた格安のワープロと出会うことがなければ(普通にワープロを買うような経済的な余裕は全くなかった)、こんなに文章を書くようには、たぶんならなかったのではないか。

《あのときの佐藤の盗塁が効いた いつか言う日がくるかもしれない》(8月31日⚪︎) 池松舞『野球短歌』