⚫︎VECTIONの西川さんときくやさんに教えてもらった、トビアス・グレムラーという人がつくった動画がとても面白い。一つ目の動画はダンサーの動きを、二つの動画はカンフーの動きを、モーションキャプチャーして加工したもの。実際に動いている人の「体感」はこんな感じなのだろうと思う。
Butterfly Lovers – Anatomy of Love - YouTube
Kung Fu Motion Visualization - YouTube
「現在」というのは点もしくは瞬間の切り取りではなくて幅があるというだけなら、当たり前すぎて何も言ったことにならないが、しかしその「幅」を通常の感覚よりも広くとると、ちょっと違ってくる。例えば、点としての現在を起点として、十秒前から十秒後くらいまでを、未だ過ぎ去っていなくて保持され続け、完結していなくて開かれたままの「現在」として感じることはできるのか。十秒前に頬をボリボリと掻きながら椅子に座ろうとしていた自分、今、椅子に座ったままで足を組み替えた自分、そして、十秒後におそらくコーヒーカップを持って椅子から立ちあがろうとするであろう自分、それらの全ての仕草、その全ての身体の状態や感情、全ての周囲の空気の流れ、などを、過ぎ去ったものでも来るべきものでもなく、どれも等しく「いま、ここ」にあるものと感じて、その一つの塊としての二十秒が、次の一つの塊としての二十秒に移行していくという時空イメージを実感することができるとしたら、人間の身体は上の動画のような自己イメージを持つのではないか。
(点としての現在よりも先の十秒にかんしては、予測・待機と実行との間にズレが生じるはずだから、前後二十秒として感じる「現在」には、時間の幅だけでなく、常に「予測」と「実行」という二つのレイヤーがあることになる。)
(過去から引き継がれた予測(1)とともに、現在としての実行(1)と予測(2)が立ち上がり、現在と未来とが重なり合う領域で既にある予測(2)と並行する実行(2)がなされる。)
こんな感じ。