トビー・フーパーが亡くなった。もうこの世代の人たち(ぼくが子どもの頃に「新しく出てきた」世代の人たち)が亡くなってもおかしくないソーンに入ってきたということか。確か、スピルバーグと三つ違いくらいだったのではないか。
●面白い動画をみつけた。三本つづけて観るのがミソ。「JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた 前編」「JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた 後編」「日本のメジャー音楽シーンは2010年に破綻している」。ここ二十年くらいの、日本の文化的な凋落というものを、ポピュラー音楽という側面から鮮やかに浮かび上がらせていると思う。
https://www.youtube.com/watch?v=VMW4eyNY_Rk
https://www.youtube.com/watch?v=fkhCwNwuMUQ
https://www.youtube.com/watch?v=LiDvuw2B0qw
「JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた」前後篇は、2008年につくられた動画のようで、2015年に三本目の「日本のメジャー音楽シーンは2010年に破綻している」がつくられたことで再アップされた、という感じみたいだ。この三つがあわせられることですぐれた批評になっている。
最初の動画では、同じコード進行(王道進行)をサビに含む1978年から2005年までのJポップのヒット曲がだーっとつづけてピアノで弾かれる。そして、最初のうちは「なるほど」と思って聴いているのだけど、ぼくの耳で聴いても、2000年前後くらいから、同じコード進行なのにそれ以前よりも使い方が安易になってくるように感じられ、そして、ああ、これはぼくが嫌いなJポップの感じだ、となる(2000年以前のやつは「嫌いな感じ」と思うものは少ない)。
そして二本目では、海外のヒット曲ではほとんど使われないこのJポップの王道進行が、例外的に意識的に使われたムーブメントとしてユーロビートが挙げられる。そして、ユーロビートの人気が、世界的には過ぎ去った後でも、日本でのみ根強く残ったことが挙げられて、多くの日本の人がいかにこのコード進行を愛しているかが指摘される。そして、2000年以降のJポップの王道進行がいかに安易に使われるようになってしまったかという例として、「パクリ」事件が指摘される。実はこれはパクリではなく、曲の作り方が安易なので、結果としてどれも似たり寄ったりになってしまうということなのではないか、と。
三本目の動画は、サウンドの問題ではなく、音楽産業の構造的な問題が指摘される。これを観ると、ああ、日本ってどこでもこうなんだよなあ、とため息が出る。そして、「これ」が前面化したのはゼロ年代以降だとしても、「これ」がはじまったのは八十年代なんだよなあと思う。
●「世界のポップミュージックで最も使われているコード進行」という動画もある。これはたんじゅんに楽しい。
https://www.youtube.com/watch?v=Z6wIczjFb-A